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ここは宗教ブログなのに、戦争の歴史ばっかり記事です。(笑)


僕は、信仰心のある方から、自虐史観を払拭するべきだと思っています。

先の大戦以降、GHQの政策により、日本の宗教は骨抜きにされました。

日本の強さは精神性の強さであり、その根底には、日本人の信仰心の強さがあったからです。

GHQは、日本人の信仰心を弱くする工夫を、あちらこちらに散りばめています。


全国どこに行っても公民館がありますね。

あれは戦後に、GHQの指導によって建てられたものです。

それ以前、公民館の機能は、神社が受け持っていたからです。


全国各所に建てられた公民館によって、神社が持っていた、地域コミュニティー機能は廃れました。

こういう風にGHQは、日本人の持つ高い精神性を、段々と薄めていったのです。


そして日本では、宗教は裏側へと追いやられました。

そして戦後の日本人には、「宗教によって戦争が起こった。」という、トラウマだけが残りました。


日本は、強かったのです。

そして、美しかったのです。

そしてその、強さと美しさの根源には、日本人の精神性の高さがあったのです。

今でも、日本人の精神性の高さは、時折報じられます。

まだ日本人には、誇りがあります。


日本には、コンビニエンスストアーの数以上の宗教施設があります。

これが意味することは、日本は事実上の宗教国家であるということです。


コンビニエンスストアー以上の数の宗教施設を、維持管理する費用が捻出でき、それに携わる方々が食べていけるわけですから。


GHQ、そして左翼教育の執拗な宗教攻撃でも、日本人の心から、神仏への尊崇の念は、消し去ることはできなかったのです。


しかし、宗教心を持つ人からは、自信は失われました。

その大きな要因は、先の大戦での敗戦の痛手でした。


敗戦だけならば、日本人が宗教心を、いや、神仏を信じる心に、自信を失うことはなかったでしょう。

誇り高き理想を掲げ、戦うことで、たとえ負けたとしても、日本人はその国民性が持つ潔さから、そのことを卑下したりはしなかったでしょう。


しかし、「日本国内では尊敬されていた日本軍が、海外ではひどいことをしていた侵略者だった。」と告げられ、教え込まれたからこそ、日本人は自信を失ったのです。


しかしそれは違います。

それは日本人より、海外の方々、特にアジア諸国の方々が良く知っています。

なぜならば日本軍は、正真正銘、彼らにとっての解放軍だったからです。


アジア諸国民は、植民地となり、自国軍は持っていませんでした。

占領者たちは、地元民に軍備を持たせなかったのです。

当たり前ですよね。

反乱される恐れがありますから。


しかしインドネシア軍は、日本が創りました。

インドネシア独立のために、インドネシアに残った日本兵は、インドネシア人たちとともに、引き返してきたオランダ軍と戦い、独立に貢献しました。

そのときに戦死した日本兵は、今でもインドネシアの墓地で、英雄として弔われています。


出身が朝鮮半島であっても、台湾であっても、日本においては、士官学校を出れば、軍で幹部になれました。

日本兵は、朝鮮人や台湾人の幹部のもとでも、戦っていたのです。


戦前日本は、強く美しかったのです。

世界で初めて、「人種平等」という理念の下での国つくり、文明実験をしていたのが日本だったのです。

それが歴史の真実です。


神仏を信じている方々、

どうか、神仏への信仰を、過去の歴史で弱くするようなことはやめましょう。


神仏を信じていない方は、どうか神仏を信じてください。

「神仏を信じたから損をした。」みたいな歴史観は、日本を弱くしようとした奴らの思う壺です。


日本は強かった。

そして日本は美しかった。


その歴史には、負けたことへの反省点はあります。

完全に戦前日本に復古することは、僕も反対です。

戦前の日本では、本当に純化された日本人観を、まだ体現しきれていないと思うからです。


しかしだからといって、その心の強さと美しさと、日本人としての誇りを失ってはいけません。


日本は戦前に持ち得なかった、戦略的防衛観点を獲得し、確固たる防衛を構築すると同時に、その強く美しく誇り高き日本的精神を、もっと世界に輸出していくべきなのです。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/