全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
全国で豪雨が猛威をふるっています。
災害で、被害を受けられた方々に、心よりお悔やみ申し上げます。
また、日本各地で、救援活動に勤しまれていらっしゃる方々に、心より感謝申し上げます。
この今年の悪天候。
地球温暖化を指摘する声も多いですね。
しかし気をつけなければならないのは、人間の信仰心のところだと思います。
歴史を見ると、人心が乱れたときに、文明が悪天候で滅んだり、大飢饉や大災害がおきたりしているんですね。
古代ローマ然り、中国の各王朝然りです。
旧約聖書を読んでも、大体書いていることの大部分は、
人心が乱れ、人々の信仰心が薄れる→国滅ぶのパターンばかりです。
日本でも古来より、飢饉などがあれば、歴代天皇は、お堂に篭って心を清め、徳を磨いてていらっしゃいました。
僕が何より危惧するのは、唯物的な気候の解釈は、必ず文明否定論につながることなのです。
地球温暖化然りですけれども、地球環境の変化や悪化は即ち、文明のせいでございましょうから。
科学文明がなければ、自然環境の変化や悪化はなく、異常気象も起こらない・・・
という結論に、必ずなるのが、唯物論的な、異常気象の説明なわけです。
しかし、大事なことは、人間は文明の中でしか生きられない・・・という事実なのです。
人間は、動物社会の中では、もっとも弱い存在です。
赤ん坊が母親の乳を求め、寝返りができないために泣く。
しかも、大声を張り上げて泣くというのは、動物の中で人間だけです。
しかも腕力も脚力も、動物社会最低レベルでしかない人間は、元来、文明の中で生きていくように創られているとしか、説明できない存在なのですね。
そもそも文明がなければ、泣く子を抱えなければならないという、生き物としての宿命を持つ人間は、他の動物らに、簡単に食い尽くされてしまう、儚い運命しかないわけです。
そしてその文明も、自然災害の脅威から、いかに身を護るか・・・という前提があったわけです。
その自然の脅威、自然の猛威の中で、自分たちの身を護る文明を築く上での、アイデアの根底にあったのが、宗教なのです。
つまり、「神様が人間を愛していらっしゃる。」という前提にたち、
「神様ならば、いかにこの困難を克服するか。」という神意を、
困難苦難のその時々に、歴史上の人たちは、思いあぐねてたどり着いたのが、文明なのですよ。
つまり、その苦難困難の折で、ぎりぎりの判断の賜物が、今にいたる文明なのです。
その時々の、人間のぎりぎりの判断とは、つまりは、「神様への祈り」 そのものだったわけです。
つまり、世界各地の文明には、
「神様を信じなければ、滅びよ。」という、無言のメッセージがあるわけですよ。
ですから、異常気象を、ただ唯物論的に解釈するのは危険です。
第一、地球温暖化と言っても、グリーンランドが発見された1000年間は、今よりも暖かかったわけです。
今、氷河で覆われているグリーンランドは、その名のとおり、緑の大地だったのですから。
日本で言えば、平安時代です。
この時代は、今よりもずっと暖かく、作物がふんだんに取れました。
そして寒冷化してきて、争いが多くなって、貴族では問題解決できなくなって、武士の時代になるわけです。
つまり、1000年前は、今より暖かい時期はあったわけです。
1000年前が、今よりも二酸化炭素量が多いわけありませんから、地球温暖化が二酸化炭素が原因というのは???なわけです。
つまり、唯物論的な地球温暖化説も、???なわけで、あんまりそれにのめり込むと、重大な判断ミスをする可能性が高いです。
何が言いたいかと申しますと、唯物論的な気象解釈は、必ず文明否定論になります。
それしか、彼らにはデーターがないからです。
しかし文明を否定する心は、同時に人類の、存続の否定につながります。
ですから、神様が望む文明を、神の子人間は模索するべきです。
宗教心の強い方は、我慢する心も強いので、環境左翼的な論調に同調もしやすいのですが、ここは気をつけなければならないです。
神様が、何を望んでいるかは、人間の幸福です。
人間の幸福は、人々が愛し合い、人々が神様の心を学び、人々が自らを神の子として建て直し、人類社会を、神様が望む社会へと成長させることです。
唯物的な気象解釈だけではなく、真摯に謙虚に、神様が何を欲していらっしゃるか、また、人間神の子として、何をなさねばならないかを探求し、反省する心こそ、今の異常気象の時代に、必要なことではないでしょうか?
つまり、異常気象の今こそ、真の宗教心の復活が、絶対に必要だと思うのです。
それは神様が願う文明を、模索することと同じことだからです。
それでは、またのお越しをー。(^O^)/