全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


このところ、国防日記ばかりで、アモ~レらしくなく面白くなくて、読者の皆様ごめんなさいね。(笑)

集団的自衛権で国の世論が揺れていますし、もうすぐ原爆投下の日です。

サウスポーな方々のみならず、国中で懺悔し始めますし、日本の宗教界というのは、左翼的な一見平和主義ばかりなんですね。


せめて神道系とかが、本来の教えに目覚めていただきたいですし、

日蓮宗系も、日蓮聖人思想に復古していただければありがたいのですけれども、一蓮托生で、一見平和主義でございます。


先の大戦で日本人が失った信仰心が、いかに大きかったかを伺えます。

専守防衛の国家ならば、周辺諸国より防衛力で劣っていてはいけないんです。

本来ならばね。


中国が軍事予算で日本を上回った時点で、憲法9条は破棄するなり、解釈変更するなりが、本来の専守防衛国家の姿ですよ。

でなければ、先制攻撃しか守れないじゃぁありませんかね。


相手から見て、攻めにくくしないと、日本人のように我慢強い国民ならば、かえって戦いの機会が増えますよ。

現実的にはそうでしょう?

予防注射で感染症が防げないのならば、下水完備とか、社会の公衆衛生を改善するしかないでしょう?

国防も同じなのですよ。


で・・・、日本には保守派の方々も、実際は数多くいらっしゃるのですけれども、彼は困っているんですよ。

なぜ困っているかと言えば、彼らを支援したり協力したり、神仏の心から見た、保守の心の理論的な下支えができて、彼らが安心して活動できるよう、サポートしてくれる宗教勢力がないからなんです。

彼らは孤立無援で、精神的な下支えがないのですよ。


保守派の方々は、宗教心はあるし、宗教にも理解があるんです。

なぜならば、日本の保守思想と歴史は、切り離せないからです。


歴史というのは、戦争の歴史であるし、同時に宗教の歴史なんですね。

歴史と戦争と宗教は切り離せないので、保守派の方々は、宗教への理解が本質的に深いし、宗教には寛容なのですね。


ですが、肝心の宗教勢力が、左翼的論調の、戦うこと自体、国を守ること自体が悪・・・みたいな立脚点であるので、保守派は宗教に近づけないのですよ。


神仏を深く信じる方々が、歴史の本当の真実を知る重要性を、政治活動などをしていると、強く強く感じてしまいます。


で・・・、今日は征韓論が議題なのですが、教科書等の印象なのですが、

明治維新というのが、日本の近代史に燦然と輝く光であるのだけれど、その後どうも、その直後にはもう、侵略思想が始まっている印象がありませんかね?


西郷隆盛らの征韓論が、明治初期におこるのだけれども、これなどは、

「なんだ、もうこのころから、他国侵略を考えていたのかよ。」的な、イメージで語られていると思いませんか?


征韓論というのは、要するに、「朝鮮半島をどうするか。」がテーマなわけですけれども、これをどうも、侵略的にどうするか・・・で語られていると僕は思いますね。


この征韓論は、明治維新と絡めなければ、理解できないのです。


明治維新の意義は、以前記事で書きましたけれども、要するに、幕藩体制という分裂国家状態から、人口3000万人、武士(軍人)の数100万人の、中央集権国家ができたことで、侵略国家群である欧米列強諸国から見て、日本侵略という、軍事力を使ったビジネスができない国家体制を創ったことなんです。


幕府が大政奉還し、王政復古がなされ、廃藩置県をしたことで、欧米列強は、「これは、攻め込むと大変なことになる。」「とてもじゃないが、割が合わないから、日本から引き上げよう。」となったのが、明治維新革命なのですね。


どうやら、歴史教科書を書いていらっしゃる方々は、この点が、今ひとつ理解できていないように感じますね。

軍事的教養が、著者の先生方にはひょっとしたら欠落していて、どうも政権交代劇としての明治維新の側面だけしか、見えていないように思いますね。


この明治維新の本質部分が理解できれば、その後の征韓論騒ぎも理解できるのです。


つまり、日本は明治維新革命で、完全に列強諸国からの軍事的脅威から逃れられたのです。

列強が日本を侵略すれば、一網打尽できるわけですよ。

船に乗って、せいぜい1000人くらいでしか日本に来られない白人が、100万人いる武士群に太刀打ちできません。


しかし・・・、もしも欧米列強が、朝鮮半島に拠点を構えたら・・・、さあ、どうなりますか?

ということが、征韓論の本質なのですよ。


日本が安泰なのは、遠くから船に乗ってやってくる欧米列強諸国相手の、国家の陣形なのですね。

相手が近代兵器を持っていようとも、対象はあくまで、少人数が想定なのです。


大量の近代武装兵士が永続的に、すぐ近くの朝鮮半島から攻め続けられれば、長期的に見れば、日本を護りきれません。

言わば、元寇の再来です。


欧米列強が朝鮮半島を拠点とし、そこで大人数の朝鮮人を手下に、多くの武器弾薬を携えれば、永続的に日本を侵攻できる体制が出来上がってしまうのです。


欧米列強だけが問題ではありません。

当時朝鮮は清国の属国でしたが、清国は近代化が遅れていただけで、当時GDP第1位の超大国です。

清国が日本をまねて近代化し、朝鮮に拠を構えれば、たちまち日本は窮地に立ちます。


軍事大国ロシアが、朝鮮まで南下しても同様の結果となります。


だからこそ、明治維新政府樹立間もない、まだ国内基盤のない状況下での、征韓論騒ぎなのですよ。


征韓論騒ぎは、侵略を基にした議論ではなく、それは国防を基盤とした議論なのです。


西郷派と大久保派で、その方法論が違っていただけなのですね。


西郷派は、「朝鮮を占拠し、日本領とすることで、列強や清国に備えよ。」ということでしょう。

一方大久保派は、「それでは、日本の負担が大きすぎるから、朝鮮を独立させて、列強に対峙させよう。」というものでしょう。


どちらも、国防論なのです。


西郷派は、「独立した朝鮮が、日本に対峙してきたらどうするのか?」とか、

大久保派は、「今は、清やロシアと対峙する力はない。」と言い返す、そういった白熱した国防議論こそ、征韓論の本質なのです。


だから、維新の英雄西郷隆盛を失ってでも、明治政府としての結論を、どうしても出さなければならなかったのです。

侵略でしたらビジネスですから、やれるときにやれば良いです。


大久保さんも、「西郷どん。今はちょっと待て。」と言えば良いし、

西郷さんも、「おお、今はそんな時期じゃなかとですばい。」と言えば、それで終わっちゃう話です。


英雄西郷隆盛を否定するということは、この時点であればまだ、明治維新革命自体を否定することと、取られても仕方ない時期です。

さすれば、廃藩置県で特権を失った諸藩が、新政府に反旗を翻す可能性だってあったわけです。


それでもやらなければならなかったのは、征韓論騒ぎが、純粋な国防論議だったからです。


この征韓論の舞台である朝鮮半島は、日本の国防にとっては、本当に頭の痛い部分です。

この、日本と朝鮮半島との関係こそが、日本の国防の歴史の大半を占めるのですね。

日本人が平和を望むならば、朝鮮半島から目を離してはいけないのです。

それが、歴史を学ぶということであり、真の歴史の反省なのですね。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/