全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
僕は、日本人は侵略ということを、そもそも発想しない民族だと思っております。
そういう視点を持つと、日本の歴史や、現代に生きる日本人の発想などが、一本の糸で結ばれるからです。
日本人が、なぜ侵略を発想しないか。
それは昔から日本人が、
「他国を侵略し、そこから何かを奪ってくるよりも、自分たちで富を創造した方が、手っ取り早くて確実だ。」
と考える、思考形態を持っているからです。
古来から今までずっと、日本の周辺国より、日本の方がはるかに豊かなので、わざわざ海の向こうまで出向いて略奪するより、出向く方がコストがかかるからです。
つまり、侵略行為をすれば、すればするほど赤字になるのが日本なのです。
大富豪が、スラム街に強盗に行くみたいなもので、まるで割に合わないのが、歴史上の日本なのです。
つまり、海の向こうまで出向いてまで、日本人が欲しいと思うよなものなど、日本の周辺国にはなかったのです。
これは、現代でも同じですよね。
国民平均所得においては、周辺国より群を抜いて高いのが現代日本です。
現代日本がもし他国を侵略し、その結果、領地や領民が増えれば、日本国民の平均所得は激減してしまうのですね。
しかしこの現象は、昔もそうだったのです。
そして日本人は、他国の人々とのコミュニケーションを嫌がる傾向があります。
他国の人たちが日本語をしゃべってくれたり、日本を理解してくれるなら良いが、言語も習慣も違う人たちを嫌がる国民性があるのです。
これは別に、他国民を嫌っているのではなく、めんどくさいのですね。(笑)
なぜ、めんどくさいか・・・と言えば、気を使うから・・・です。(爆笑)
つまりここは、他の国であれば、とっとと差別して、奴隷階級にでもして、安くこき使うところなのですね。
ここに、民族差別や人種差別の、合理化の根本があります。
「他国民や他民族は、人間として劣るのだから、我々の民族に統治されるべき。」という理論が、ここから発生するわけです。
それは単に、一地方レベルでの、人口比率や軍事力などの、民族の力関係に過ぎないのだけれど、人間としての尊さの違いだ・・・と、他国の歴史では認識されてきたのです。
それが、世界レベルで改善されてきたのは、第2次世界大戦後です。
その世界から、「人種差別はいけないことだ。」とか、「国境を越えて、進軍することはいけないことだ。」という、我々が知る現代的な常識となったきっかけは、日本なのですよ。
ともあれ、日本人は他国の人を、差別する感覚そのものがないのです。
ですから、日本人は他国の人や他民族に、気を使ってしまうのですね。(笑)
だから、日本人は外国人との付き合いがめんどくさいのです。
せめて、「日本語を話してくれれば・・・。」と願うのが日本人ですけれども、その根底には、他民族への優しさ・・・というのがあるのです。
他民族を、日本人と同様、人として見ているからこそ、めんどくさいのです。
他民族、肌の色、言語、宗教、風習、そして身分に関わりなく、同じ人間として見る・・・というのが、日本なのです。
これは、超~~~~、当たり前すぎる感覚なので、他国の歴史を見ないとわからないのです。
呼吸困難にでもならなければ、呼吸をしていることも、自覚できないかも知れません。
食うに困らない人生を送っていれば、断食でもしなければ、空腹感を味わうことはないかも知れません。
超当たり前な感覚というのは、別の価値観の物差しを持って来ないと、その存在すら認識できないのです。
日本人にから言えば、他国の人々であっても、人間であることには変わりないのです。
そうでしょう?
皆さん、当たり前のように、そう思っていらっしゃるでしょう?
肌の色が違っていても、瞳に色が違っていても、話す言葉は違っていても、習慣が違えど、人間は人間なのです。
日本人は古来から、そういう感覚を持っていたのですね。
しかしこの感覚は、日本人からすれば、超~当たり前の感覚であったので、歴史の各所には現れないのです。
しかし重要なことは、第2次世界大戦前の世界は、こうではなかったのです。
民族が違い、肌の色が違い、言語が違い、宗教が違えば、人ではなかったのですね。
人ではないのであれば、他民族は家畜と同じです。
ですから、羊飼いが羊の放牧をするがごとき、植民地主義が横行していたし、それら、統治される地の人々の、待遇改善などの配慮は最低限でしかなかったわけです。
植民地での環境改善は、飼っている羊の健康被害が出れば、所得に影響するから仕方なしに行うレベルの、環境改善であったわけですね。
ですからたとえば、200年に渡り、イギリスはインドを植民地統治しましたけれども、その間インドはイギリスに搾取され続けていたわけで、イギリス人が入植したところはイギリス風の文化文明がありましたけれども、インドの民の生活水準が上がることはありませんでした。
しかしどうでしょうか。
日本が統治した朝鮮半島や台湾は、ほんの数十年の間に、事実上の未開の地が、あっという間に先進国となっておりますね。
満州なども同様です。
明治以降、日本は大国ばかりと戦い、そして第2次世界大戦を迎えましたけれども、それは日本が、国家の分を超えて、他国を云々・・・というような単純な動機とかではなく、ある意味で、
日本の当たり前 VS 当時の世界の当たり前 がぶつかった結果だったのです。
そう見ないと、近代日本と世界の、本当の歴史は見えては来ないのです。
で・・・、その結果どうなったか・・・。
日本は負けましたけれども、世界から植民地は消えたわけです。
そして、「人種によって、差別されることはいけないことだ。」という、世界の共通認識になっています。
そしていつの間にか、「他国を侵略することはいけないことだ。」という常識にまでなっていますね。
これらはすべて、戦前日本の常識だったわけです。
アメリカが自由の旗手のように言われます。
リンカン大統領の有名な言葉、「人民の人民による人民の云々」という言葉があり、リンカン以降、アメリカでは黒人奴隷は解放されましたけれども、アメリカから人種差別が公的に消えたのは、1970年代に入ってからです。
アメリカの自由と民主主義は、白人の自由と民主主義であったのです。
つまり彼らとて、白人以外を人間と見ていたかと言われれば、???なわけです。
だから原爆も落とせたし、大空襲をして、一般市民丸焼きの戦法が使えたのですよ。(怒)
日本のアミ~ゴの皆様、のん気に自虐史観に浸っている場合ではないですよ。
我々の当たり前、日本人の常識は、世界を変える力を持っているのです。
もっと日本人は、日本を知らなきゃダメですよ。
それでは、またのお越しをー。(^O^)/