全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
仏教って、結構ミステリアスです。
歴史の謎解きが大好きなアモ~レには、とても興味深い教えです。
アモ~レは、宗教のことは・・・、申し訳ないのですが、あまりわかりません。
教えの価値とかは、あまりわからないのです。(^^;
しかし歴史的視点というのはあります。
つまり、流れ・・・はわかるのです。
流れだけしかわからない・・・とも言えますね。(笑)
アモ~レは、空気は読めない天然オジサンだけれども(笑)、流れだけはわかるのです。
歴史的視点というのは、要するに、それがもたらした効果であり影響力です。
今を生きる我々が、釈迦教団に抱いているイメージは、法華経がもたらせたものであり、法華経以前の仏教は、それとは違っているのですね。
その法華経の教えの根幹は、久遠実生の仏陀という、肉親の仏陀の奥にある生命体としての仏陀。
つまり、等身大の人間としての仏陀ではなく、奈良の大仏のような、宇宙を包含するような生命体としての仏陀ですね。
これと、人間、仏の子思想です。
この人間仏の子・・・ということを、繰り返し繰り返し説き、その教育方法と理論的根拠について、たとえ話を積み重ねているのが法華経です。
つまり、なぜ人は仏の子なのか。
仏の子である人間を、いかにして導いていくのが良いのか。
これに、法華経の内容のほとんどを費やしているのですね。
代表的なのは、法華七喩(ほっけしちゆ)という、七つのたとえ話シリーズですね。
これは釈尊が語ったとも、釈尊の説法を理解した弟子が、釈尊に「こういうことですよね。」と語ったとも言われますが、要するに、「仏と人との間柄と、それをいかに教化するか。」というテーマのたとえ話シリーズです。
三車火宅喩(さんしゃかたくゆ)をご紹介するならば、
長者の邸宅が火事になった。
中にいた子供たちは遊びに夢中で火事に気づかず、長者が説得するも外に出ようとしなかった。
そこで長者は、子供たちが欲しがっていた「羊の車(ようしゃ)と鹿の車(ろくしゃ)と牛車(ごしゃ)の三車が、門の外にあるぞ」といって、子供たちを導き出した。
その車を見て、夢中で遊んでいた子供たちは喜んで家の外に出た。
その後に、さらに立派な大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与えた。
こういう教えです。
火宅とは、この世(3次元世界)で、長者は仏です。
3つの車は、仏教で言われる、仏縁を理解する機根、声聞・縁覚・菩薩の人が欲する教えのことです。
仏は、家が火事になっていることに気づかず、遊び呆けている衆生のために、「お前たちが欲しがっていたオモチャが、家の外にあるぞ。」と言って、とりあえず火宅から出させ、その後法華経という、最高級車(大きな牛の車)を与えた・・・ということですね。
長者窮子(ちょうじゃぐうじゆ)ならば、
ある長者の子供が、幼い時に家出した。
彼は50年の間、他国を流浪して困窮したあげく、父の邸宅とは知らず門前にたどりついた。
父親は偶然見たその窮子が息子だと確信し、召使いに連れてくるよう命じたが、何も知らない息子は捕まえられるのが嫌で逃げてしまう。
長者は一計を案じ、召使いにみすぼらしい格好をさせて、「いい仕事があるから一緒にやらないか」と誘うよう命じ、ついに邸宅に連れ戻した。
そしてその窮子を、掃除夫として雇い、最初に一番汚い仕事を任せた。
長者自身も、立派な着物を脱いで身なりを低くして、窮子と共に汗を流した。
窮子である息子も、熱心に仕事をこなした。
やがて20年経ち、臨終を前にした長者は、窮子に財産の管理を任せ、実の子であることを明かした。
これなども、本来は仏の子であるにも関わらず、その事実をすっかり忘れてしまい、落ちぶれてしまった人間を窮子にたとえ、その人間仏の子の事実を、どのようにすれば、人間が受け入れられるのかを説いた教えですね。
衣裏繋珠(えりけいじゅゆ)では、とある金持ちが、貧乏な友人の衣服に、そっと宝物を縫い付ける・・・という話が出てきます。
これなどは、心の中に、宝(仏性)はある という仏教の本質を簡単なたとえ話で説いています。
ともあれ法華経は、それまでにはなかったわかりやすさで、人間仏の子思想を、理論的支柱を伴った形で説いているのです。
法華経は、内容の云々のことはアモ~レにはわかりませんが、仏教の基本的な文化の中心軸にあって、その後の仏教文化、仏教思想の根幹にあることは間違いなです。
なぜならばそれらは、法華経以前の釈迦教団にはなかった文化だからです。
法華経こそ本門・・・と言えば、日蓮宗のようでもありますね。(笑)
いや、アモ~レは、日蓮聖人をとても尊敬しております。
僕も、法華経が釈尊の本音であると思います。
なぜならば、久遠実生の仏陀(永遠の仏陀=創造主)や、人間仏の子を信じておりますから。
でもここまで法華経を知れば、ひとつの謎がまた生まれてしまいます。
それは、何故釈尊は、最初から法華経を説かなかったのか???です。
なぜ釈尊は、教団最大の危機である、ダンバダッタ反逆事件の後に、法華経を説いたのでしょうか?
法華経をもっと早くに説いていれば、ダイバダッタは反逆しなかったかも知れませんよね?
そういう視点で言えば、釈尊はとても意地悪にも見えますよね?
それでは、またのお越しをー。(^O^)/