全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


仏陀とは仏陀の法を説く者であり、仏陀の法とは三法印。

三法印とは、諸行無常=時間論 諸法無我=空間論 涅槃寂静=修行論。


ここ最近、このことをキーワードに、論を進めております。

アモ~レは、とても不器用な頭脳構造なので、決まった期間は、ひとつのことしか書けません。(爆笑)

ここのところ、アモ~レの苦手な宗教記事が続いておりますので、アモ~レの思考回路は、この夏の暑さに耐えられるか・・・です。(笑)


さて、仏陀の定義をダイバダッタは、説法技術、すなわちトークの技術ととらえていたと思います。

年老いた釈尊よりも若いダイバダッタは、アジャセ王の寄進を受けるなど、社会的にも頭角を現していたとは思います。

それで、「我こそが、釈迦教団を継ぐのに相応しい。」と思ったのではないでしょうか?


ダイバダッタ反逆事件が収まった後、釈尊は法華経を説きます。

釈尊入滅時の教えが涅槃経ですが、その前が法華経ですので、法華経は、釈尊最晩年の教えと言って差し支えないです。


法華経は、それまでの釈尊の教えを引き継ぎながらも、まったく違った一面を強調した教えなのですね。

そして現代日本人が知る仏教、常識的に思い描ける仏教像というのは、この法華経以後の仏教なのです。


法華経以前の釈迦教団は、仏法の学習団体+瞑想教室的な教団に、僕には見えるのですね。

こんなこと書いていると、僕が日蓮宗に改宗したかと思われちゃうかも知れませんけれども(笑)、僕はとても歴史が好きなので、こういう見方を、ついしちゃうんです。(^^;


ではまず仏陀観ですけれども、それまでの仏陀というのは、人間が修行して、到達するものだったのです。

釈尊は、厳しくも正しい修行の結果、仏陀になったのであり、釈尊がやった修行を行えば、誰でも仏陀に到達できる・・・というのが、それまでの釈迦教団のスタイルだったのですね。


これは、当時のインド地方の、常識的な宗教観に近く、一般的な仏陀観でもあったのです。

今でもインドでは、悟りを求めて、日々修行に励んでいらっしゃる方も多いです。


ですから、釈迦教団の修行スタイルというのは、釈尊や十大弟子などの教団幹部の説法を聞き、それを覚えて、心を見つめたり、またはその覚えた教えを、唱えるように流布するというのが主でした。

ここに仏教特有の、読経スタイルの原型が垣間見れますね。


この仏教特有の読経スタイルは、教えを流布しているというより、忘れないように努力しているのではないでしょうかね。


・・・で、法華経以降の仏陀は、久遠実成の仏陀(くおんじつじょうのぶっだ)という思想を打ち出します。


つまり、

「実は私(釈尊)は、一人の人間として、修行して悟った存在ではなくて、遥か昔から、そして永遠の未来まで、仏陀なのだよ。」

「要するに私は、生命体としての仏陀なのだよ。」

ということです。


聞いていた弟子たちは、「ぎょえ~~!」「世尊(釈尊)よ、いったい今、何と仰いましたか?」と言った・・・いや、言わないまでも、絶対にそう思ったに違いありません。(笑)


上記の太文字の部分は、当時のインド地方の宗教では、革命的なことだったし、釈尊の弟子たちにとっても、驚愕の言葉だったはずです。


なぜならば、釈尊が悟って以降ずっと、弟子や信者たちに、

「私は、修行して仏陀になったのだから、皆も正しく修行に励めば、必ず仏陀になれるよ。」

と、約40年言い続けていたのですから。


驚くべきことに、釈尊は晩年になってから後、それまで築いてきた、成功スタイルを捨てているのです。

70歳を超えて、国王の帰依を受けるほどの大宗教家が、ポイっと、それまでのスタイルを変えちゃっているんですね。

これはすごいことです。


ただ、弟子の一部には、「私は、新しい方針には従えない。」と、教団を離れた弟子たちもいました。

まぁ、無理からぬことですよね。

何せ、40年に渡り、「修行して仏陀になる。」ということに、人生を賭けてきたのですのでね。

人間心としては、僕も理解いたします。


しかし、長年連れ添った弟子らが離反しても、仏陀は法華経を説きました。


そして法華経は、それまで釈迦教団にはなかった、宗教性を吹き込んだのです。

なぜならば、目に見える、目の前にいる、悟りのお手本としての仏陀釈尊から、肉身の釈尊の奥にある、大宇宙の生命体としての仏陀、生き通しの、久遠実生の仏陀を信じる必要性が生まれたからです。


これは釈迦弟子にとっては、一種の踏み絵であっただろうと推測します。

この法華経以降、仏陀という尊称が、真理の体得者としてだけではなく、キリスト教的に言うならば、救世主的な側面や、創造主的な意味合いを持つようになるのですね。


かくて釈迦教団は、それまでの、仏法の学習団体兼瞑想教室的な教団から、私たちの知る、国際宗教的な教団へと、ステップアップしたのです。

しかも、仏陀の涅槃までの、極めて短時間で、それは成し遂げられています。


まだまだ法華経が、釈迦教団や、仏教の根本的な遺伝子に与えた影響は大きいのですが・・・、夜勤明けで疲れましたので、本日はここまでとさせていただきます。m(_)m


それでは全国のアミ~ゴの皆様、またのお越しをー。(^O^)/