全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
前回までは、仏陀の法(三法印)について述べてまいりました。
仏陀の説法には、三法印が必ず含まれています。
これは、仏陀でなければできないことです。
誰も、知らないことを述べることはできません。
世のすべてのものは変転し、すべてのものには実体はないことを知り、絶対的に安らいだ心を知っているからこそ、三法印=仏陀の法が自然と説けるのであり、それが仏陀の根拠です。
それは同時に、仏陀が神仏の代理人であるという証拠にもなります。
大宇宙の神は、この宇宙の始まりの前にあり、この宇宙の終わりにもある存在です。
また、この大宇宙(霊界を含む)を創ったのも神です。
つまり、時間と空間を内包する宇宙を創り、永続させている思いこそ、大宇宙の神の実態でもあるわけですね。
それを知っている仏陀・・・ということは、仏陀とは、大宇宙の神(仏)の代理人でもあるわけです。
仏陀の説く三法印、諸行無常=時間論 諸法無我=空間論 涅槃寂静=修行論 は、大宇宙の神(仏)の認識そのものでもあるからです。
ここに、仏陀の権威の根源があります。
釈尊が妻子を捨て、国を捨て、結果的に母国を滅ぼしたとしても、仏陀として今なお尊敬されているのは、釈尊が説いた法が、仏陀の法であったからであり、その根拠は釈尊の説法には、この三法印がふんだんに含まれていたからです。
宗教性の強い釈尊時代の方々は、「釈尊が嫌い。」とか、「釈尊が、出家前に妻子を捨てたのは、いかがなものか。」とは言えても、「釈尊は、仏陀ではない。」とは言えなかったのです。
殺人鬼アングリマーラーを教団内にかくまっても、コーサラ国に母国を滅ぼされるのを止めなかったとしても、「世尊(釈尊)よ。他に手立てはないものでしょうか?」とは言えても、「だから釈尊は、仏陀ではない。」とは言えなかったのです。
仏陀を行動規定する指針はありません。
つまり、「これをするのが仏陀である。」とか、「こういうことをするのは、仏陀ではない。」という規律はないのです。
仏陀とは、仏陀の法を説く者であり、それ以外の基準はありません。
では仏陀は、何をしても良いのか・・・という疑問が出てくると思います。
答えは「YES」です。
仏陀は・・・仏陀ならば、宗教的には何をしても構いません。
それは、責務と権限でお話するとわかりやすいと思います。
たとえば医師は、患者を治療する責務があり、その責務に則って、治療する権限があります。
その治療方法やその方法の選択は、医師の権限ですね。
内閣総理大臣の責務は、国民の生命と財産と安全を守ることです。
ですから自衛権の発動もでき、陸海空自衛隊の長でもありますね。
それだけ大きな責務があるので、衆議院解散権を持ち、国会議員を辞職させる権限まで、唯一有しているわけです。
仏陀なら、何をしても良い・・・というのは、この仏陀の責務に関係するのですね。
では、仏陀の責務とは何か。
それは、価値を決めること なのです。
何を善とし、何を悪とするか。
何を美とし、何を醜とするか。
そして、その程度はどうなのか。
などです。
だから文明というものは、その奥に宗教があるわけですね。
東洋の仏教文明、西洋型のキリスト教文明、アラブ地方にはイスラム教文明があり、日本には日本特有の神道から来る文明があります。
宗教から文明が生まれるのは、その奥にある、神仏の価値から来ているのです。
こういった、後に文明の基礎となる、価値基準を定めるのが、仏陀の責務なのです。
なぜらなば、仏陀は神仏の代理人だからです。
仏陀が神仏の代理人である根拠は、仏陀の法=三法印にあります。
神仏の代理人ですから、仏陀の定める価値基準は、それは神仏の価値と見なされます。
代理人(仏陀)は、代理されている側(神仏)と、重要視しているポイントは同じですよね。
では、どれだけの権限が仏陀にはあるのか?
これは,釈尊が、殺人鬼アングリマーラーを教団にかくまったエピソードや、釈尊の母国カピラバストゥーが、大国コーサラ国に滅ぼされた経緯から垣間見ることができます。
が・・・
すみません。
夜勤明けで、あはは、体力的に限界です。(笑)
それでは、またのお越しをー。(^O^)/