全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


昨日から、アモ~レブログらしくない(笑)、宗教的な記事を書き始めています。

アモ~レは、モノビットで大雑把な頭脳ですから、緻密な宗教論議は苦手です。(笑)

ですから、超大雑把な仏教の側面ですがご容赦を。


ですが、アモ~レの宗教ネタはとても珍しいのか、とてもご好評をいただいており、感謝感激です。

ただ物足りない方は、もよりの支部には、アモ~レより賢い方はたくさんおりますので、どうかそちらでどうぞ。(^^;


さて、前回記事の続きですが、仏陀とは、すなわち法であります。

仏陀の法を説く者が仏陀です。

仏陀以外に、仏陀の法を説ける方はいません。


仏陀を、行動面で指し示す行動基準はありません。

仏陀の証明は、仏陀の法が説けるか否かでしか、それを行うことはできません。


かつて幸福の科学大川隆法総裁は、テレビインタビューに答えた際、


「あなたが、仏陀である証拠はありますか?」という記者の質問に、

「私が仏陀であることは、教えの内容でしか、証明することはできません。」と答えました。


仏陀の法を説けるのは仏陀だけであり、法(教え)のみが仏陀の証明なのです。

ですから、「○○をするなんて、仏陀ではない。」という方がいらっしゃったら、それは仏陀の本質を知らない方なのです。


仏陀を論ずるのに、個々人の主観や信仰観や美意識は、全く無意味です。

また仏陀や救世主であるならば、その人は、公人中の公人です。

そういう一般論的にも、個々人の主観や信仰観や美意識で、論じて良い対象ではないはずです。


医師免許を持ち、外科手術ができれば外科医です。

「タバコを吸うし、夜の酒場で夜な夜な酒を飲むなんて、外科医ではない。」と言われようが、医師免許を持っていて、手術ができれば外科医は外科医であり、外科医の仕事をする自由と権限を持ちます。


衆議院で、もっとも多くの衆議院議員の信任を得れば、その方は合法的に内閣総理大臣です。

その方が、たとえ人間的にどういう方であれ、衆議院で信任されれば、その方は内閣総理大臣であり、衆議院の解散権など、内閣総理大臣としての自由と権限を持ちます。


これらは、法律が元になっている規約です。

たとえが貧弱で、大変申し訳ないのですが、同様に仏陀を示すのは、仏陀の教えを説ける者ということです。


ではその仏陀の本質である、仏陀の法とは何か。


それは、三法印(さんぽういん)です。


三法印とは何か。


それは、


諸行無常 (しょぎょうむじょう)

諸法無我 (しょほうむが)

涅槃寂静 (ねはんじゃくしょう)


の3つです。


この、諸行無常・諸法無我・涅槃寂静は、如来の三法印(にょらいのさんぽういん)と呼ばれ、如来とは、来るが如しと書きますけれども、神仏が来るが如しで、神仏の化身、広義の仏陀のことです。


如来(仏陀)の教えには、この三法印が必ず含まれ、この三法印を含む教えを説く者が、すなわち如来(仏陀)なのです。



では、諸行無常とは何か。

「諸々の事柄は、すべて変化するものである。」ということであり、「変化しないものは存在しない。」ということですが、現代的に言うならば、要するに時間論です。


仏陀の教えには、この 諸行無常=時間論 が、必ず含まれるのです。 


生・老・病・死の四苦、そして、

愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること。 

怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと。

求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと。

五蘊盛苦(ごうんじょうく)-(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと。


を合わせて四苦八苦と言い、決してこの世に生きる人として、逃れられない苦しみです。

これは、諸行無常の原則と、大いに関係いたします。


これら、四苦八苦や諸行無常という言葉の響きには、何だか、どうしようもない苦しみを、受け入れざるを得ない、仏教特有の重苦しさを秘めた言葉でありますが、裏を返せば、


諸行無常が、万物が受け入れざるを原則であるならば、四苦八苦以外のことは変えていける・・・という希望の原理でもあります。


この如来(仏陀)が説く、諸行無常=時間論は、その後の諸法無我・涅槃寂静を合わせて、修行論にも繋がっていく、大切な原理なのですね。


この世もあの世も含めたこの世の中や、そこに生きる我々人間が、もし諸行無常の原則がないならば、努力したって無意味なわけですよ。

変化し、変転していく性質を、全ては内包しているからこそ、努力し、困難を克服していくことができるのですね。


諸行無常でなければ、努力したって変わりっこないのですから、努力したって無意味なんです。

ですから諸行無常は、心正しき努力家にとっては、これほどの希望の原理はないのです。


とにもかくにも、仏陀は諸行無常=時間論を説くのであり、仏陀の説法には、この諸行無常=時間論が必ず含まれているのです。


繰り返しますが、

仏陀の本質は仏陀の法であり、仏陀は必ず、諸行無常=時間論 を説くのです。

それが仏陀というものです。


次回は、諸法無我について、アモ~レの偏見に満ちた(笑)私見をお届けいたします。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/