全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


今拙ブログでは、幸福の科学の歴史を中心にエントリーしております。

今取り扱っているのは、2013年以降になっておりますが、ここ最近の幸福の科学の歴史を振り返るにあたり、次々と収録される公開霊言に着目せざるを得ません。


世の中の口の悪い方々は、

「大川隆法総裁は、話すことが困ったら霊言やっとるんと違うか。」とか、「霊言なんて、聞く方の心の修行にならないじゃないか。」とか言う方もいらっしゃいますが、それは大いなる誤解でございまして、霊言はとても勉強になるのです。


たとえるならば幸福の科学を、正しき心大学の医学部としましょうか。


大川隆法総裁のご法話や、それらをまとめた経典というのは、医学部の学びで言えば、基礎講習にあたります。

医学は人間の体のすべてを扱いますけれども、それらを学問化し、普遍的に積み重ねられ、机上で学べるまでに体系化されたものが、ご法話やそれらをまとめた経典と言えましょう。


一方霊言を医学の学びでたとえますと、これは解剖実習に当たるわけですね。

解剖実習は、生前に自らの亡骸を、医学の進歩のために使ってほしいと希望された方からいただいた献体を使って行いますが、当然亡くなった方の死因は全員違います。

そして、一つ一つそれぞれが、学ぶ側からすれば、これまで学んできた理論を、実態でしかも有機的に確かめる機会となるわけです。


当然、基礎理論を学べば学ぶほど、その現実的な実習での学びも多くなるわけですね。


つまり、「天国的な心とはこういう方だ。」とか、「世の中に貢献した方の心はこういう思いだ。」とか、「地獄に行く人の特徴。」とかが、公開霊言という解剖実習では、如実に現れるわけですから、これほどの現実的な学びはないわけです。


そしてたとえば、解剖実習であれば、胃の病気で亡くなった方と、そうではない別の要因で亡くなった方の胃を比べることもできますね。

健康な胃と、不健康な胃の両者を見比べる、医学者にとってはとても機会でもあるわけです。


つまりこれは公開霊言では、個々人の個性を見比べることも理解できるということです。

つまり登場する霊人は、さまざまな方がいらっしゃいますけれども、神人と呼ばれている方、偉大な政治家の方、英雄、社会に貢献した方、ごくごく一般的な方、そして地獄に行ってしまった方、悪○と言われる方、それぞれを見比べることが可能なのです。


それぞれは人間でございますので、オールマイティーではありません。

しかし胃なら胃の解剖学があるように、肺なら肺の解剖学があるように、それぞれの分野での心の解剖学となっているのが、幸福の科学大川隆法総裁の公開霊言です。


そして特徴的なのは、守護霊霊言でしょう。

守護霊霊言は、今地上に生きている方の守護霊を招霊して行うものです。

守護霊は、今生きている方の一部でもあり、過去世でもあります。

ですから、今生きている方の考え方と、とても良く似ているし、はっきり言えば、「本音」にあたる部分ですね。


これを医学的にたとえると、CTスキャンやMRIなどの、高度な画像診断に当たるかも知れませんね。

今のCTスキャンでは、体の外部から放射線を当てて、それを立体的に画像化して診断できます。


この診断の結果何がわかるかですけれども、今の病状もわかれば、今後の患者さんの先行きもわかりますよね。


つまり何が言いたいかと申しますと、守護霊霊言では、今後の社会の見通しがわかるということなのです。


守護霊霊言をする方は、現代社会である程度以上の、社会的影響力の高い方です。

ですから、こういう社会的影響力の強い方の本音がわかれば、今後予想される近未来の見通しが、ある程度わかるわけですね。


これを大川隆法総裁は、幸福の科学を通して公開霊言し、それを一般的に支部や精舎に配信し、それを書籍化して、幸福の科学出版で発刊することで、多くの方々に近未来を共有しようとなさっているわけです。


それだけではなく、その書籍を新聞広告に出すことで、新聞各社にも読んでいただき、世論形成を正しい方向に導こうと尽力なさってもいます。

新聞広告は、いくらお金を積もうが、新聞社の意向がなければ広告にはなりません。

「載せるに値する。」と新聞が判断しなければ載らないのです。

決定権は、新聞社にあるわけですね。


ですから幸福の科学出版の出版物の新聞広告が載ったということは、新聞社側からの、「我々は読みましたよ。」というサインでもありますので、拙ブログのお越しの皆様は、そういった新聞の楽しみも経験していただけたらと存じます。


ということで、霊言は言わば、解剖実習です。


そしてより現実性の高い臨床実習が、伝道活動なのですね。

幸福の科学の真骨頂は、「日々正しき心の探求」ですけれども、幸福の科学というところは、徹頭徹尾、この正しき心の探求であるわけです。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/