全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


すみません。

当初この記事、下書きの段階で、投稿してしまいました。(笑)


今回はちょうど一年前の参院選挙にまつわる話題です。


この参院選で幸福実現党は、約60万の得票を得ました。

とても少なくて、偉そうに言える得票ではないのですが、その半年前の衆院選での得票は20万票ですので、単純に計算すれば、半年で3倍の得票を得たことになります。


短期間でのこの得票の伸びには、いったい何があったのでしょうか?


内的要因の最大のものは、幸福実現党組織が2009年衆院選挙でこうむった、心的ダメージを克服したことが大きいと思います。

やはり2009年の突然の立党と、いきなりの国政選挙と大敗北は、かなりのダメージを受けました。

その心的ダメージからの回復に、幸福実現党は4年を費やしたのです。


それは何を隠そう、僕自身がそうだったのです。(笑)

幸福の科学在家信者で最もへそ曲がりと自称する僕でさえ(爆笑)、それくらいのダメージがあったのですから、一般的な真面目な幸福の科学信者さんならばなおさらです。


4年間に信者党員の、政治系の学びは進み、また大川隆法総裁が、次々とご法話などで戦い続けていたからこそ、4年で信者会員の心的ダメージは回復できたのですね。


そして外的要因として、日本維新の会の失速です。

これは元来が、2012年衆院選挙対策で、大阪維新の会と太陽の党両党の、利害が一致したことによる選挙対策党でしたから、党共同代表の橋下徹氏のカリスマ性が剥奪されたことによるものです。

これには幸福の科学出版から「橋下徹は、宰相の器か」と、「神に誓って従軍慰安婦は本当か」の2冊の影響がとても大きかったのですね。


そして3倍得票の要因として最大のものはマスメディアが、幸福実現党候補者を、他の政治政党と同等に扱うようになったことです。

中日新聞など、一部地方新聞等ではまだ諸派扱いでしたが、他のマスメディアでは、「幸福実現党候補者○○さん。」とか、「諸派幸福実現党○○さん」(爆笑)などの扱いで、これまでのガン無視ではなく、可能な限り平等に扱おうという、姿勢が初めて見られたのが、こん2013年参院選挙なのですね。


時間帯などの配分など、まだまだ完全に平等とは言えないのですが、これまでとは全く違う扱いであったのは確かです。


これまでの幸福実現党の得票は、幸福実現党員と、その限られた周囲のみの得票だったのですね。

なぜならば、多くの有権者は、幸福実現党が出馬していることがわからなかったからです。


いくら「幸福実現党をよろしくお願いします。」と叫んでも、諸派・・・と報道されてしまえば、一般有権には、幸福実現党の存在はわからないのです。

それで、「あんたのところ、結局出ていなかったよね。」と、選挙後どれだけの方から言われたことか!


ではなぜマスメディア各位の、幸福実現党の扱いを変えつつあったのか。

それは結局のところ、「大川隆法に私心なし。」ということが、やっとマスメディアが理解し始めた体と思います。


それまでのマスメディアは、幸福実現党=宗教法人幸福の科学の政治進出か、もしくは布教の一環と捕らえていた節があります。

誰もが、「所詮、宗教の宣伝だろう」「いつ投げ出すことか」という、圧倒的なネガティブな目で見ていたと思うのですね。

しかしそれはまあ、立党当初には、この僕も思っていたことで(爆笑)すから、まあ、現代日本における一般的な見解だろうとは思いますが、ここに来て、多くの政治系マスメディアが、


「幸福実現党は宗教法人幸福の科学の、政治進出ではない。」と、ほぼ確信したのです。


なぜそう思うか?

誰あろう、このアモ~レが、2013年参院選でわかったからです。(爆笑)


ではなぜ2013年参院選で、幸福実現党が幸福の科学の政治進出ではない・・・と思ったか?

答えは簡単です。

大川隆法総裁が、参院選に出馬しなかったからです。


ではなぜ大川隆法総裁が、参院選に出馬しないことが、幸福実現党=幸福の科学政治進出・・・とならないか?

それはこのときに、大川隆法総裁が参院選に出馬していたら、当選するのが確実だからです。


今の参院選挙の比例代表性は、非拘束名簿式(ひこうそくめいぼしき)です。

衆議院の比例制は、各地方ブロックに分かれていますし、政党記名方式以外の投票は無効ですが、参院選の比例制度は、個人名が有効なのですね。


つまり事実上の全国区制度ですので、知名度の高い候補者が、圧倒的に優位なのです。

現代の日本社会において、タレントさんならいざ知らず、大川隆法総裁の知名度を上回る人物が存在するでしょうか?


今の日本社会において、幸福の科学は知らなくても、大川隆法は知っている・・・というのが現実ですけれども、個人の知名度において、大川隆法というネームバリューは、飛びぬけているのですね。


そして大川隆法総裁自身が、比例第1位で出馬すれば、2009年の衆院選のように、信者会員は命がけで選挙活動をするでしょうし、そのときよりも、政治活動は当然上手くなっています。


ですから、先の参院選挙で大川隆法総裁以上は、出馬すれば当選していた確率がとても高かったのですね。


それを暗示するがごとく大川隆法総裁は、先の衆院選直後に、それまでの党名誉総裁から、幸福実現党総裁を兼務しました。

社会的に名誉総裁ならば、口だけ出して実権はない名誉職ですが、党総裁ならば・・・


つまり話が長くなって来たのでブッチャケ話しますと、

これは、「もう幸福実現党の体たらくに我慢できないから、私が自ら代表として、次の選挙(2013年参院選)に出馬する。」という陣形なのです。


僕はこの大川隆法総裁の党総裁兼務は、「わぁ、いよいよ出馬なさるんだ。」と思っておりました。

僕が思うほどですので、政治家や政治系マスコミも、きっとそう踏んでいたに違いないのです。


しかし大川隆法総裁は、2013年参院選に出馬しませんでした。

絶対に当選する戦いである状況にもかかわらず、出馬しないのは・・・

これは、幸福実現党の存在が、幸福の科学の政治進出では、考えられない判断なのです。


2009年衆院選で大川隆法総裁は、一度出馬しておりますので、前例で言えば、絶対に出なければならない最大のチャンスが、2013年参院選だったのですね。


この2013年参院選の大川隆法総裁の不出馬で、多くのマスメディアは、幸福実現党の立党からのこれまでの歩みが、初めて理解できるようになったのです。


これは、日本を守るためのものだったのだと。


幸福実現党立党は、2009年当時の与党自民党麻生政権が、憲法改正を旗印に解散するのと、同じ効果をその後の日本にもたらすためであったのだと。


その大川隆法総裁の意向を、理解し始めた多くのマスメディアは、それまでの「幸福実現党=諸派」扱いから、「幸福実現党」「諸派幸福実現党」へと、明記するようになったのです。


2013年参院選から、その流れは始まりました。

そしてこの流れは、向きを変えることはもうないでしょう。

そして自身を持って言えることは、この流れが小さくなることも、もうないでありましょう・・・ということです。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/