全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
2012年末に突如行われた衆院選挙は、実は、大川隆法総裁が仕掛けたものです。
http://ameblo.jp/oramorre/entry-11876590090.html
それはあくまで、中国で新しく国家主席に就任した、習近平氏の軍事行動に対峙するためです。
それまでにロシア・プーチン大統領霊言などの発刊や、映画2本上映などで、中国の動きを激しく牽制しておりましたが、本格的にそして急ぎ日本を、左翼的勢力から脱却させる必要性があったのです。
事実、当時東シナ海には、1万隻と言われる大魚船団が、日本尖閣に焦点を当てて、出港の準備をしておりました。
http://ameblo.jp/oramorre/entry-11875048673.html
しかし2012年衆院選での戦いの争点は、マスコミ世論的には、脱原発か否か・・・というものでした。
その年の夏には、日本の国論は脱原発世論一色でしたので、それを実現させるのか否か・・・というのが、一般的なマスメディアの論調でした。
左翼政党は脱原発、新党日本未来の党は卒原発と表明しました。
与党民主は、「30年後をめどに、原発廃止」、当時の最大与党自民党は、「10年をめどに、原発見直す」、当時議席のなかった日本維新の会は、原発に関してはあまりよくわからない主張でした。
つまり、2012年衆院選挙において、そして現時点においても、明確に原発推進を掲げているのは、幸福実現党しかなかったし、今もないのです。
ということで、2012年の衆議院解散を受け、各党政治活動が活発化するのですけれども、解散が決まってからの幸福実現党は、当初は消費増税反対で政治活動をしていたのですね。
それほどは、原発に関して論を展開していなかったし、消費増税や生涯現役社会つくりといった、どちらかというと、一般受けする戦いをしていたのです。
僕は、「ああ、幸福実現党も、やっと普通の戦いをしてくれるようになった。」(爆笑)と思っていて、それで現場も結構、支持者を集めれていたのですね。(笑)
しかし前回09年の衆院選では、全国300箇所以上で候補者を出しましたが、このときは比例区を中心に17名と、かなり絞った戦いなのが気になりました。
「党予算が出せないのかな。」
「それも仕方ないな。」
そういう、少しさびしい気持ちもありました。
しかし今振り返ると、この少ない陣形には、ちゃんと意味があったのです。
僕らの値域ブロックの比例代表候補は、幸福実現党広報部長(当時)兼全米共和党東アジア顧問の、饗庭直道(あえばじきどう)氏でしたが、饗庭氏は何回も僕らの地元で講演をしておりましたが、饗庭氏の発言も、消費増税廃止と国防の必要性を訴えるもの・・・だった・・・のです。
それがあるとき、突然変わりました。
2012年12月9日(日)、選挙投票日の1週間前の出来事です。
それは今から思えば、テレビなどの党首討論などが終わり、各党のマニュフェストが一般によく知れ渡って、もう変更できない状況になったときです。
突如、饗庭氏の発言が変わったのです。
饗庭氏は、それまでの一般受けする講演スタイルや、街宣スタイルを変え、
「即原発です!」と叫び始めました。
そばにいた僕はびっくりです。
そして選挙戦の最終後半の幸福実現党は、原発推進を果敢に訴え続けました。
時は12月、いつもより冬の到来は早く、とても寒い12月でした。
北海道では豪雪のため電線が切れ、広範囲に停電が起こりました。
厳しい機構の季節になり、原発停止に伴う停電の恐怖が、日本人の心に芽生えていたのです。
そして経済連も、かつて09年の民主支持から脱却しました。
2012年衆院、幸福実現党の選挙終盤における、
「今日本に必要な判断は、即原発です。」
「今すぐに、原発を再開することです!」
この、選挙活動における大英断が、脱原発一色に染まる日本の世論の流れを一変させたのです。
そして結果は、幸福実現党は大敗北でしたか、明確な脱原発勢力は衆議院から駆逐される結果となりました。
これで日本では、脱原発・・・という理念を掲げて、選挙を戦うことが今後一切できなくなったのです。
一方は、理論的に武装された脱原発世論。
こちらが当時は一般的でした。
しかしもう一方から突然現れた、これまた理論武装された原発推進論。
これが幸福実現党です。
どちらも論理的に理論武装された原発エネルギーに関する政治視力に挟み撃ちにされた、一般的な世論としての行動行為、つまり選挙での投票はどうなるでしょうか?
そうなのです。
原発に関しての判断の、先送り行動となる のです。
これが、2012年衆院選挙の真相です。
つまり原発に関して、明確な判断基準を示さなかった政治勢力に、現実の票は流れたのです。
かつての源平合戦における、一の谷の戦いを彷彿とさせる戦いです。
海と両脇の狭い谷に挟まれ、背後には断崖絶壁という、鉄壁の防御の地として、平家は一の谷で陣を張っていました。
両脇の狭い谷では、敵である源氏とのいさかいはありましたが、平家本陣には絶対に入り込めないのです。
そこに背後の絶壁から、わずか70騎という少数で、平家本陣めがけて駆け下りてくる勢力があったのです。
源義経率いる先鋭たちです。
突然の奇襲に、平家本陣は慌てふためき、平家本陣は海へと逃げました。
残って戦った、平家の者たちは全滅でした。
このときに源義経は、目的である安徳天皇と三種の神器は取り逃がしましたが、この戦いが、長き貴族の時代の終わりを告げる、戦いの第一歩となったのですね。
2012年衆院選のような戦い方では、幸福実現党は確かに票にはなりませんでした。
義経と同じく、安徳天皇と三種の神器は取り逃がし、ですから領地も得られませんでした。
つまり政権は得られず、当選者も出せなかったのです。
しかし日本を窮地に追い込む、エネルギー政策そのものを駆逐しただけではなく、現代の貴族政治つまり、マスコミが作り上げた世論による政治の時代の終わりの始まりを、この2012年で顕わしたのです。
マスメディアが作り上げた、マスコミ的国内世論という鉄壁の防御の地が、歴史上初めて崩されたのです。
かつての義経はなぜ、70騎という少数で本陣を攻めたのでしょうか?
それは、鵯越(ひよどりごえ)と後世呼ばれるこの戦いにおいては、断崖絶壁を駆け下りねばならず、それができる者が、結局それだけしかいなかったからです。
2012年の幸福実現党も、わずか17名での出馬でしたが、この作戦でもしも、事前に作戦の漏洩でもあれば、幸福実現党の本当の目的は達成できません。
2012年の衆院選における幸福実現党の戦いは、現代の一の谷の戦いであり、鵯越(ひよどりごえ)です。
そして当時の幸福実現党党首 立木秀学(ついき しゅうがく)氏は、源義経の再来と言えると僕は思います。
それでは、またのお越しをー。(^O^)/