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民主党菅直人元首相は、「支持率1%になっても辞めない。」と言っていましたけれども、その言葉を実践するがごとく、支持率10%を下回った後も、合法的に首相の座にしがみつき、その上で挽回を図っていたのですが、大川隆法総裁の「もし空海が民主党を見たら・・・」という経典で、菅氏をついに観念させたことは、前回記事で触れました。


幸福の科学の動きは、マスコミなどで取りざたされることはなく、多くの人が存じ上げないのですが、日本の岐路、ポイントポイントにおいては、必ず効果的な一打を打ち続けてきたのです。


その後民主党代表および、日本の総理大臣に就任したのは野田佳彦氏です。

野田氏首相就任直後には、早速野田氏の守護霊霊言が、幸福の科学では行われました。


野田氏の守護霊は、菅氏の場合とは違い、自らが野田市の守護霊であることを、はっきり認識しておりました。

また、自身が幸福の科学の親派であり、「宗教心はある。」とも言っていました。


ドジョウ宰相と自ら名乗る野田氏。

腰が低く、攻めにくいタイプの御仁でした。(笑)

菅氏のように、高飛車なタイプには、日本人は反発しますし、鳩山氏のように隙の多いタイプで、一時的な高感度だけの御仁ならば、きちんとした批判軸を構えておけば害はないとも言えます。


野田氏は、極めてわかりにくい人物ではあり、その後ノラリクラリと国会運営をしながら、着実に実権を握っていったのは、経験を積んで成長していくタイプだったのかも知れませんね。


宗教心がある政治家の守護霊が、民主党代表に選ばれるとは・・・

この守護霊霊言を拝聴したときは僕も、意外で複雑な心持ちでございました。


このドジョウ殿(笑)に、そのまま日本を任せていれば・・・・・

これはわかりにくいのでございますけれども(笑)、おそらく民主党と自民党との、大連立がなされていたかも知れませんね。


それは野田氏が、左翼政党である民主党内の保守政治家であり、当時の自民党の総裁は、左派の谷垣氏であったからです。

つまり、野田民主党当時、氏の理念に最も近い政党は、自民党でもあったわけですね。


事実、野田氏時代に消費税増税は、民自公の三党合意のもと可決されました。

この三党合意は、一時的な大連立であったとも言えますね。

野田氏は、ノラリクラリと政界を行き渡り、その点の駆け引きに手馴れていたところがあります。


日本人は、比較的「大連立」という言葉の響きが好きな民族ではないかと、僕はかねがね思っております。

「小さな違いを超えて、大きな理念のもとに結集しよう。」みたいな言葉が、とても好きな人たちではないかと思うのです。

とても調和を重んじる国民性ですからね。


「国難回避のため、党派を超えて結束しよう!」

もし、野田氏がそう言えばそういう流れになる・・・。

僕は野田時代、そう考えておりました。


日本の歴史上、明らかな大連立の時代というのは2回あります。

幕末期の公武合体の時代。

そして先の戦争直前からの、大政翼賛会時代です。


先の戦争についての見解は、また今後述べるといたしますが、少なくともこの2つの時代の共通点として、国民の自由が、著しく制限された時代であることは間違いありません。


幕末の公武合体時代に、安政の大獄は起こり、大政翼賛会時代は、事実上の共産主義経済の時代でした。


現代でも民自公三党合意時代に、消費増税は決まりましたし、今後の増税の道筋も決まりました。


またたとえ野田氏が、隠れ保守であり、宗教心はある政治家ではあっても、その後・・・は必ず来るわけです。

野田氏の後、そして民主党の後に誰が、この国の代表であるべきなのか。


そうです。

野田氏の後、また野田氏時代に万一のことがあって、急遽後釜を構えなければならない場合に、当時の自民党総裁、谷垣氏で良いのか・・・という問題が起こるのですね。


またこのまま、三党合意時代=事実上の大連立時代を続けて良いのか・・・という問題もありました。


さて、以前にも記事の書きましたけれども、幸福の科学大川隆法総裁という御仁は、「二度と同じ話をしない。」という御仁でございます。

http://ameblo.jp/oramorre/entry-11853522719.html


大川隆法総裁が、同じ話をすることは、大変珍しいのです。

会員信者にとってそれは、総裁からの超重要なメッセージと受け止めるべき事柄なのですね。


鳩山内閣退陣の予告など、どうしても聴衆の心に届けたいことしか、大川隆法総裁は何度も言わないのです。


大川隆法総裁が野田総理時代、何度も何度も、繰り返した言葉があります。

それは、


「野田氏は、案外、保守かも知れない。」

「野田氏は、保守かも知れないと思って、私は様子を見ています。」


です。


何のことはないつぶやき・・・とも取れますけれども、この大川隆法総裁が繰り返すつぶやきに、反応した政治勢力があります。

それが、自由民主党なのです。


2010年参院選で、自民党を躍進に導いた(?)谷垣氏を、すんなり野田氏協力勢力、そして野田市の後釜としない風潮が、自民党内世論から興ったのです。


谷垣氏では野田氏と競合する部分が多すぎて、選挙のときの対立軸になりえないからです。

下手すると、自民党が民主党に糾合されかねないのですね。

保守である野田氏が、自民党に鞍替えする意外、流れとしてはそうなってしまうのです。


自民党内には・・・あはは、大川隆法読者は多いのです。(笑)


結局その大川隆法総裁のつぶやきが、日本の大連立への流れを止め、自民党内の保守復古の発端となって、後の安倍総理誕生へとつながるのですね。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/