全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


2009年夏は、僕ら幸福の科学の信者にとっては、一大スペクタルな年でありました。

幸福実現党を立党し、衆院選挙に打って出たからです。


その前に行われた、東京都議会選挙にも出馬し、0.7%の得票率で惨敗したばかりで、幸福の科学信者一同、その傷は癒えていないときに、大きな大きな衝撃が僕らを襲いました。

大川隆法総裁ご自身が、時の衆院選挙に党総裁として出馬なさったからです。


それまでは、実質上は大川隆法総裁のもとの活動でしたが、党首を立てて、社会的には他の弟子たちが戦っておりました。


僕ら現場は、大川隆法総裁の出馬には大反対でした。

「そのようなことをすれば、大川隆法総裁のお体が持たない。」

「総裁を、矢面に立たせるわけにはいかない。」

「総裁を出馬させないよう、全力で、幸福実現党の支持率を上げよう!」

そう言って、現場は頑張っていたのです。


しかし大川隆法総裁は、決断してしまいました。

ではなぜこの期に及んで大川隆法総裁は、自らが社会的にも全責任を取るスタイルでの陣形を組まれたのでしょうか?


より求心力を高めるため・・・


これは、当時よく言われたコメントです。


それは、幸福実現党の立党から衆院選出馬目的が、政治進出であり、会内から国会議員を出すことが目的ならばそうでありましょう。

しかしそれならば、最初から大川隆法総裁が、党総裁を兼務すれば良かったはずです。

そしてその後も続く、幸福実現党の国政への挑戦に、大川隆法総裁が、社会的にも前面立ってやれば良いことです。

昨年の参院選挙などは、このスタイルならば大川隆法総裁は、参院議員当選は確実だったはずです。


大川隆法総裁が、社会的にも全責任を取るスタイルで臨んだ国政選挙は、09年夏の衆院選挙、ただ1回だけなのですね。


ではなぜ、この09年の衆院選だけは、大川隆法総裁が弟子党首をなくし、党総裁として戦いの最前線に立たれたのでしょうか?


それはやはり、

幸福実現党立党、そして国政への挑戦そのものが、2009年に、時の与党自民党が、憲法9条改正解散総選挙を行ったときと同じ効果を、その後の日本にもたらすため


という目的を持っていたとしか、説明できないのです。


経緯はこうです。


おそらく大川隆法総裁は、ぎりぎりまで時の自民麻生総理が、この9条改正による解散選挙を決断することを望んでいたはずです。


ですから、自党の負担増になり、地方での得票に結びつく政治活動を削ってでも、東京での街宣をさせるために、東京都議会選挙にも幸福実現党は出馬しました。


時の東京都議会選挙は、民主党が躍進し、自民+公明でも過半数割れする形となりました。

これで事実上、麻生自民党は追い詰められたのです。


内閣総辞職をし、自民党総裁を変えて、任期切れする衆院選に望むか、そのまま国民の信を問う形での、衆院解散するかしか、麻生総理には選択はありませんでした。


ここでもし、時の自民麻生総理が解散の名目として、


日本の国防を第一義とし、憲法9条改正の是非を問うために、衆議院を解散する!


と銘打てば、幸福実現党は別の形を選択していたはずです。

立党の目的が達成されるからです。


こうなれば、昨今集団的自衛権などが取りざたされ、憲法論議が盛んになっておりますが、このようなことが2009年夏に、盛んに議論されるようになったはずです。

さすれば、北朝鮮やその後ろに控えている中国などは、最適でも10年は、日本に手が出せなくなります。


おそらく、幸福実現党は衆議院参戦を取りやめ、幸福の科学の政治部門として、恐らく10年後に来るであろう将来の出番を待ち、本来の持ち場に帰って、自己研鑽の日々に入ったはずです。


それ以外ならば、自民党が国防議論をしやすいように、もっと激しい、ウルトラ右翼的な街宣活動にいそしんだことでしょう。(笑)

そう、東京都議会選挙で幸福実現党がやったことは、

「自民よ。これで、国防選挙が、やりやすくなるよ。」という、大川総裁のメッセージでもあったのです。


そして、大川隆法総裁は、それまでに出版する形で発表していた、膨大な幸福実現党の政策を、自民党にそっくり手渡す形で、政策提言者として、麻生自民に協力するおつもりだったのではないでしょうか?


しかし麻生総理は、7月21日に解散宣言をしましたが、その肝心の憲法や国防を争点にするとは言いませんでした。

よりにもよって、民主党のような、ばらまき型の選挙を選択したのです。


麻生総理には、少しでも選挙の負けを少なくしたい・・・ということしか、関心がなかったのですね。

為政者としては、とても残念な判断でした。


であるからこそ、大川隆法総裁は、解散の翌日7月22日の、緊急講演会会場で、ご自身の衆議院選挙出馬を決断を発表なさったのです。


それは、大川隆法総裁が、「私は、本気である。」というご自身の決意を、時の政治家やマスメディアに突きつけた、強烈なメッセージでもありました。


この、「私は、本気だ。」ということは、ご自身が出馬しない限り、そして勝とうが負けようが、最後の最後までやり通さない限り伝わらない、とても過酷な茨の道でもあります。


そうでなければ、当時の幸福の科学、そして幸福実現党の社会的立場であれば、自民党が憲法9条改正を争点にした解散総選挙と、同じ効果をその後の日本にもたらすことができないからです。


そしてその茨の道を、大川隆法総裁は選択なさったということです。


このときの大川隆法総裁の決断によって、

今の日本では、当時の麻生政権が、憲法9条改正解散をしたときと同じ効果が発生しているのです。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/