全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
ここ数日、幸福の科学の歴史を振り返り、大川隆法総裁のお人柄を忖度しております。
さて本日は、いよいよ運命の年2009年です。
2009年と言えば、幸福実現党の立党の年ですね。
よく巷の評論家の方々は幸福実現党を、「宗教法人幸福の科学の政治進出。」と仰いました。
立党したのが2009年5月でしたが、そのときには、このフレーズしか聞こえませんでした。
しかしどうでしょうか。
政治進出ならば、もっと上手な手があったのではないでしょうか?(笑)
現実に、大川隆法総裁の政治経済センスは抜群です。
それは、前回記事でご紹介したとおり、現実にリーマンショックからの世界恐慌を、時の麻生内閣を使って止めております。
幸福の科学発足当時から、大川隆法総裁はときおり政治に関する法話を説いておりました。
また、前世紀から発刊されている雑誌、月間リバティーでも、主な記事は政治ものでした。
ですから僕にとっては、いつかは幸福の科学は政治進出した方が良いと思っておりました。
しかし2009年5月時点で、大川総裁が動くとは、僕にはまったくの予想外でした。
なぜならば、低支持率にあえぐ麻生内閣を、唯一支えていたのは、大川隆法総裁だったからです。
それは今思えば、ひとえに麻生太郎氏に、外交センスがあったからです。
麻生太郎氏は、経済オンチであろうとは思います。
リーマンショックを評して麻生氏は、「100年に一度の大不況。」というフレーズを、毎日毎日国会で述べ続けていました。
しかし、アメリカとの同盟を機軸とした日米関係を続け、日本の国防をしっかりさせるには、麻生総理しか当時はいなかったのですね。
支持率20%以下の麻生政権を、大川隆法総裁は、ご講演や発刊する書籍で励まし続けました。
大川隆法総裁は、最後まで麻生氏に期待し、支えるご覚悟であったはずです。
そして何と、5月には35%にまで、支持率を回復させた時点での、幸福実現党の立党だったのです。
どうでしょうか、皆様。
政治進出するつもりならば、どん底の支持率の時にすれば良いし、もともと政治進出するつもりで、時の政権に近づいたのであれば、麻生内閣の支持率上昇に、あれだけのエネルギーをお使いになって、協力する必要などなかったはずでではないでしょうか。
2009年の前半期、大川隆法総裁は、麻生政権を支えることに尽力し、それに、相当のお時間と労力を費やしています。
もしも、最初からこの時期に政治進出するつもりならば、そのエネルギーを使って、幸福実現党立党を準備するべきだし、そして政治活動をするべきです。
つまり、2009年5月の突然の幸福実現党立党は、これまた何度も書きますけれども、大川隆法総裁個人の利益や、幸福の科学という教団の営利や宣伝など、下賎な理由で行われたのではないのです。
幸福実現党に、政治活動の未熟さはあったでしょう。
選挙戦における戦いの進行や、組織の運営にまずさもあったでしょう。
しかしそういった、現実的な不手際はあったのは確かではありますが、こと動機においては、まったく純粋そのものであったのです。
でなければ、あの時点での立党などありえないし、また全国全選挙区出馬もないし、衆院選を戦いながらの、東京都議会選挙への出馬もなかったのです。
おそらく大川隆法総裁は、立党時点ですでに、その後の幸福実現党の運命は察していたはずです。
察していながら、それを悟られぬように、戦っていたはずです。
今の僕には、それがわかります。
ではなぜ大川総裁は、そのような無茶なまねをして、幸福実現党を立党し、2009年の戦いに望んだのでしょうか?
それはひとえに、
「今から始めないと、間に合わない。」
「もうこの国を守り、世界を幸福に導くのは、我々しかいない。」
という救世主の、強すぎる責任感からの行動だったのです。
詳細はまた後日。
すみません、本日は時間切れです。m(_)m
それでは、またのお越しをー。(^O^)/