全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


今日も幸福の科学の歴史を、大川隆法総裁の価値観から探って参りたいと思います。

ということで今回も、前回に引き続き、幸福の科学の研修用の精舎についてです。


1996年に、念願の幸福の科学研修用精舎、総本山正心館が、栃木県宇都宮に建立されました。

そして間髪明けず、宇都宮市に未来館、日光市に日光精舎が建立されました。


この栃木県の正心館・未来館・日光精舎を、総本山三館とし、更に2004年には栃木県那須町に、総本山那須精舎が建立されました。


栃木県にお住まいの方には、大変申し訳ないのですが、幸福の科学の総本山が栃木県に集中というのは、いったいどういうことなのでしょうか?


幸福の科学の公式見解としては、新幹線が通り、内陸部の地盤の強固な土地であることが上げられております。

また、まとまった地域を総本山とすることで、一定の文明的な試みもあるとも思います。


確かに、建立時期は世紀末でした。

総本山正心館は、地下施設も備えておりましたので、万一の核戦争への対応として、核シェルター的な機能もあるやも知れません。


しかしそれだけでは、どう考えても、栃木県でなければならない理由が、少なくとも僕には納得できないのですね。

なぜならば栃木県は、大川隆総裁には、縁もゆかりもない土地だからです。


万一の避難施設というならば、もっと大きな施設でなければならないと思います。

広大な敷地面積を持つ那須精舎建立は、新世紀になってからでした。


栃木県は交通の便も、決して良くはありません。(^^;

少なくとも、僕の暮らす地域にとっては。(笑)


また総本山を多く建て、文明的な地域創設ならば、大川総裁のご出身地、四国徳島が最適のはずです。


地域への布教を考えるならば、人口の多い東京近くか、もしくは土地の値段を考えるならば、群馬県でも千葉県の内陸部や、山梨県などに分散して建立した方が、投資対効果としては上のはずです。


栃木県に、四精舎集中。

これは、経済や文化、その他の様々な側面など、この世的な判断としては、全くつじつまの合わないものだと思うのです。


実は幸福の科学の、前世紀末に建立した研修用精舎は、栃木県だけではありません。

滋賀県に琵琶湖正心館、大分県に湯布院正心館、徳島県鳴門市に、聖地四国正心館があります。


これら、前世紀末に建立された精舎には、ある一定の法則があるように、僕は思えるのです。

それは、


そのすべてが、地域の東北部に建立されている。


ということです。


栃木県は関東の東北部、琵琶湖は近畿地方の東北部、湯布院は九州の東北部、徳島県鳴門は四国の東北部です。


東北という方角は、古来より鬼門と呼ばれている方角です。

僕には霊流などはわかりませんが、大川総裁はこの鬼門封じを、幸福の科学の精舎研修施設を使ってなさっていたのではないでしょうか?


つまり、精舎研修施設ですから、日々天上界からの光が降ります。

これで、地域を守る結界を創っていらっしゃったのではないかと推測するのです。

でなければ、このような布陣は、奇妙すぎるのです。


であるならば、栃木県に四精舎というのも納得できます。

首都東京を守るには、正心館・未来館・日光精舎三精舎の結界が必要だったし、そしてそれでも足りないので、2004年に那須精舎が建立されたのではないでしょうか?


関東には、3000万人が暮らしております。

そして首都東京だけで、日本のGDPの約半分に関与します。

事実上、日本経済が世界を買い支えている、現在の世界経済を考えたときに、首都東京そして、世界一の経済圏である関東平野が、万一壊滅的な被害などがあれば、世界は一気に闇に沈みます。


日本、そして東京を中心とした関東は、世界経済の実質的な牽引車であり、希望そのものなのです。


大川総裁はそのことを踏まえ、自教団の資産を使って、栃木県に大規模な結界を、お造りになったのだと僕は考えています。


そして、重要なのはこの事実です。

前世紀末には、宇都宮に正心館建立と同時に、大川総裁自らがご一家を伴って、宇都宮に居を移していらっしゃったのです。


これはつまり、前世紀末の大川総裁はご自身自らを、関東を守る結界となさっていたということだと思うのです。

一度には書き切れませんが、この御仁は、いつだってそうなのです。


これが救世主でなくて、なんだというのでしょうか?


これ以外に、縁なき栃木県に、総本山研修施設4つという理由があれば、お伺いいたしたく存じます。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/