全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット講演会へ。(^O^)/
前回記事では、たくさんの貴重なご意見、本当にありがとうございました。
もう少しだけ、前世紀末における、幸福の科学の活動に焦点を当てさせてくださいませ。
幸福の科学の歴史を振り返る上で、それはとても重要であると思うし、それはひとえに、幸福の科学の遺伝子のひとつを知ることであるし、そして何より、大川隆法総裁という御仁の、価値観の一片を知ることだと思うのです。
前世紀末1990年後半の幸福の科学は、90年前半の、どちらかと言えば、コンサート宗教的な華やかさを抑えたところがありました。
もちろん伝道活動や、献本活動はやっていたのですが、何を中心にやっていたかと申しますと、精舎建立が中心ではなかったなぁと、個人的には考える次第です。
今幸福の科学では、各地に支部精舎を建立する段階まで来ておりますが、1990年代は、自前の建物はなかったんですね。
支部活動なども、貸しビルの一室を事務所にしての活動でしたし、総合本部も貸し事務所でした。
大川総裁のご出身地徳島に小さな道場があるだけで、幸福の科学には、不動産資産がなかったんです。
そして1996年に、幸福の科学で始めての本格的研修用施設として、栃木県宇都宮市に総本山正心館が建立されました。
しかし驚くべきことに、このとき大川隆法総裁ご一家は、賃貸マンション暮らしだったんです。
信者会員には、持ち家の方はもちろん、大豪邸にお住まいの方なども数多くいらっしゃる中(笑)、教祖さまは借家住まいだったわけです。
僕は他の宗教に属したことがなく、宗教的な常識に疎い人間でございましたので、当時はこのことについては、まぁ当たり前のことのように受け入れていたのですけれども、この、総裁ご一家が借家住まいであることを、他の宗教に属していらっしゃる方にお話したところ、その方からこっぴどくお叱りを受けました。(笑)
「あなた方幸福の科学は、教祖様を借家に住まわせているのか!」
「あなた方には、宗教的な常識がない!」 と。(^^;
その方、続けて曰く。
「宗教ではまず第一に、教祖様には、自由に宗教的な環境を得ていただくことが重要なのです。」
「でなければ、大切な宗教儀式が行えないのではありませんか?」
「教祖様のお言葉の質が落ちたり、祈願の効果が落ちたりすれば、信者さんへのご利益も落ちますよ。」
「それでは、布教できないではないですか!」
「アモ~レさん、あなた方は一体、何をしているんですか?」
「幸福の科学さんは一日も早く、教祖殿を御造りにならないと、宗教界の信用は得られませんよ。」
僕はその方に伺いました。
「あの~、きょうそでん・・・って、なんですか?(^^; 」
その方曰く。
「教祖殿って言ったら、教祖様のお住まいですよ!」
「あなた方は、そんなことも、ご存じないのですか?」
「幸福の科学さんは、もっと教祖様を大切にしなければいけません。」
「アモ~レさん、教祖様を大事にしない宗教が、発展することなんてないですよ!」
「教祖様が、借家住まい?」
「アモ~レさん。そんなことは、信者にとっては、名折れでしかありませんよ!」
いやはや、若気の至り・・・というか、無知蒙昧でございました。(苦笑)
しかしこのようなことは、当時の幸福の科学の幹部から、再々に渡って大川隆法総裁に、進言があったようです。
しかし大川隆法総裁は、そのたびにその進言を退けたと伺っております。
大川隆法総裁曰く。
「私の住まい?」
「だめです。」
「今は、信者さんや職員用の、研修施設の方が先です。」
この宗教家の常識に反する、借家住まいの教祖様が建てた研修施設が、栃木県宇都宮に建立と同時に、大川隆法総裁ご一家も、栃木県宇都宮にお住まいを移されました。
当然ながら、大川総裁ご一家のお住まいは、宇都宮市内の賃貸マンションでした。(笑)
支部を全国展開し、信者伝道で破竹の勢いの教団の教祖が、自分の教祖殿より先に信者用の研修施設を建立するという、常識破りの歴史を幸福の科学は持っているんです。
何より先に、教祖殿建立・・・というのが、宗教会の常識なんですから、
総裁は、どんな豪邸をお建てになっても構わなかったんです。
この判断は、大川隆法総裁という御仁の、価値観の全てだと僕は思うのです。
やはり大川隆法総裁は、ご自身の利益というものに、とことん無頓着だと思わざるを得ないのです。
そういうことよりも、大川総裁が重視しているものがある。
それでしか、説明のつかないご判断です。
では精舎建立という、教団の資産を使っての事業で、総裁がなさりたかったことは何だったのでしょうか?
次の記事は、その総裁のご動機について、
僕なりの見解に、チャレンジに挑戦(笑)してみたいと思います。
それでは、またのお越しをー。(^O^)/