全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


本日(4月20日)、大阪正心館にて、御法話「自由の革命」を賜りました。

今週23日に、アメリカのオバマ大統領が初来日いたしますが、それに向けての、安陪総理に向けてのメッセージだと思いました。


ウクライナ問題をはじめ、世界は混沌としており、衰退するアメリカと復活を目指すロシアとの間で揺れる日本の宰相への、国師としてのアドバイスに、僕は痺れまくっておりました。


「やっぱ、本物は違うな。」というのが、御法話を拝聴しての僕の実感ですが、

「なぜ僕は、大川総裁を本物と思ったのだろうか?」が、この記事のテーマです。(笑)


僕は大川隆法総裁を、仏陀であり、救世主だと認識しております。

それは経典「太陽の法」を初めて読んだときにそう思ったのですが、今でもそう思い続けており、その思いは、日々大きくなっております。


いろいろアンチさんが、ブログ等でアンチ記事を書いております。(笑)

忙しいので一々反論はいたしませんが、その思いが揺れ動いたことはありません。


というより、アンチ記事は、論点が常にずれているとしか思えないんです。

宗教=金儲けとか、宗教=反民主的とか、そういう今の日本の社会風潮に、むしろ洗脳されているんじゃないかと心配する次第です。


ではなぜ、大川総裁が仏陀救世主と思えるのか?


それは、大川隆法総裁という御仁が、御仁の個人的なことや、

教団が迎える重要なターニングポイントの時にわかるんです。


それは、重要なターニングポイントにおける大川隆法総裁の、なさる判断や発言や行動が、

常に総裁個人の利益や、教団や政治組織の利益を機軸にしていないからなんです。


むしろ、短時間における判断ならば、常に損になる判断をなさっているとしか思えないです。


個人の利益や、教団の利益が判断の機軸になく、常に人類であるとか、世界であるとか、日本という国家であるとか、そういった公的な利益に判断の機軸があるのが、大川隆法総裁なんです。


それによって、付き従う幹部の方々はいつも、

「ひぇ~!」とか、「ぎょぇ~!」って言っているはずです。(笑)


個人の利益であるとか、教団や政治祖機器の利益が機軸ならば、会社組織と同じですから、ある意味では簡単です。

しかし、人類や世界、日本という国家の行く末などが機軸でありながら、同時に組織の発展を目指すだけでなく、20数年の歩みにおいて、着実に発展してきたのは、ある意味では尋常な経営能力ではありません。


その実例は数限りなくあり、一度の記事でご紹介はできません。

それは驚きの歴史であり、よくこれで教団を大きくできたものだと思います。


まずは、幸福の科学の発足時からそうなんです。

総裁は大手商社の幹部候補生でした。

大川隆法総裁は、幸福の科学を旗揚げするのに、勤めていた商社を退社しました。


大川隆法総裁はそのとき既に、お父上である、故善川三郎名誉顧問と共書で本を出版なさっていました。

折りしも、善川名誉顧問と総裁の兄富山誠氏(故人)とが経営する塾が破産し、その資金的な後片付けを大川隆法総裁がなさったために、大川総裁には、手持ちの自己資金が1年分の生活費しかなかった時期に、大川総裁は退社なさっているんですね。


どうですか、皆様。

想像してみてください。


自己資金なく、退社できますか?


できないです。

僕ならば、そういう状況下ならば、退社という判断はしません。


共書と言っても、お父上のお名前で出版していましたし、そのときの知名度では,お父上の方が圧倒的に上でしたから、宗教を興したいならば、お父上を教祖にしてさにわとし、神降ろし等を大川総裁が受け持つ形で、総裁の会社が休みのときに宗教活動をするのが、現実的な判断ではなかったでしょうか?


つまり、宗教をサイドビジネスとするのが、個人の利益が機軸ならば当然の判断であり、それは十分可能だし、むしろその方が現実的選択なのです。


GLAを興した高橋信二氏も、電気製品の会社を経営しながらの宗教活動であり、前例もありました。

なお、高橋氏が、金儲け主義だったということではありません。

氏は「宗教で金儲けはしない。」という理念であったと伺っております。


しかし大川総裁は、会社を辞めて空手(くうしゅ)にて起ちました。


それはやはり、教えの中身のクオリティーを確保するには、それしか方法がなかったからでしょう。

そして、大川隆法総裁が、教えのクオリティーを下げたくなかったのは、やはり教えに対する責任感の強さだろうと思うのです。


それはひとえに、教えを学ぶ人々、

それは今現在の人々だけではありません。


教えに触れる未来の人々や、海外の人々に対する、大川隆法総裁の責任感の表れとしか、説明のつかないご判断です。


なぜならば、その時点においては、少なくともこの世的には、

会社勤めをしながらの宗教活動の方が、現実的判断であったからです。


宗教は儲かるからとか、そういう理念であるならば、大手商社の幹部候補生が自己資金ゼロで、退社せずに立宗しないです。

僕ならばしません。(爆笑)

まだまだ実例がありますが、今日はこのへんで。

それでは、またのお越しをー。(^O^)/