全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
僕は時々びっくりすることがあります。
巷には、「幸福の科学をカルトだ。」という方々がいるということにです。
どうすれば、幸福の科学で、カルト的なことができるのか教えていただきたいです。(笑)
なぜならば、幸福の科学は入脱会が自由だからです。
カルトの基本原理は、恐怖心です。
入脱会自由ならば、恐怖によるマインドコントロールは不可能です。
そして布施も自由奉納です。
一定の目安奉納はありますが、これも目安・・・でありますので、定額ではありません。
歴史の浅い幸福の科学の組織には、まだ運営面等で未熟なところがあるのは認めます。
しかしそれは、根本的な間違いなどではなく、「改善点がまだある。」というものであるはずです。
ともあれ、幸福の科学を批判するならば、それ相応の批判軸というものをご用意いただきたいのです。
よく言われるのは、「大川隆法は、○○だから、仏陀ではない。」という切り口があります。
しかしその、よく言われる○○は、批判者の方の個人的美意識や、現在の社会通念であることばかりです。
それは、余りにも幼稚な議論です。
批判する対象が大きいのに対して、批判の軸が矮小すぎるのです。
「大川隆法総裁が仏陀ではない。」と仰るならば、
「大川隆法総裁の述べる教えが、大宇宙の根本理念ではない。」ということを、論理的に証明しなければなりません。
また、「幸福の科学の教えでもっては、人と神仏とを近づけることができない。」ことを証明しなければならないです。
仏陀は、宇宙の理(ことわり)を知り、人の理を知っているのです。
「仏陀ではない。」というならば、その理(ことわり)そのものを論破できなければ無意味です。
また、人生の目的と使命についても、魂修行と地上ユートピアの建設以外の、代案をご用意いただきたいものです。
それでこその、正当なる批判です。
また、救世主についても同様です。
「大川隆法総裁の述べることが、混迷する現代社会の、破滅的な諸問題解決には無力であること。」、つまり、「世界の宗教による戦争を、根源的に解決できない。」ということを、理論的に実証しないといけないのです。
この点に関しても、世界の宗教問題を解決するべき、有効な代案なくしては、ただの批判のための批判となります。
救世主降臨であるとか、仏陀の出現というのは、人類にとっては歴史的な一大事件です。
救世主や仏陀は、人類のその後の運命そのものを示すからです。
であるならば、それらに対する批評や批判は、真摯かつ慎重でなけばならないはずです。
下手すると、天に唾吐く行為となるからです。
時の流れに流されるような、月日がたてば解釈が変わるような、脆弱な批判軸でもって、批判し評価するのは、大人の態度ではありません。
「もっと、こうすれば良いのではないか。」とか、
「他にやりようがあるんじゃないか。」という、建設的なご批判もあると思います。
それはとてもありがたいことです。
しかし根本問題として、救世主や仏陀を名乗る人を、「そうではない。」「そんなはずはない。」とご批判なさるならば、自我を排し、自身の美意識を排し、全人類の幸福という大きな視点でご批判なさらないと、ただの誹謗中傷の類となってしまうのでございます。
それでは、またのお越しをー。(^O^)/