全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
日本人は、決して信仰心の薄い国民ではないと、僕は個人的には思っております。
なぜなら、お正月からクリスマスに至るまで、年中行事も、結構宗教色の多いものは多いですし、また多岐に渡っておりますよね。
初詣=日本神道
七五三=日本神道
お彼岸(春秋)=仏教
お盆=仏教
クリスマス=キリスト教
最近では、復活祭(イースター)なども、その輪に入りそうです。(笑)
このように、表向きは無宗教を装いつつも、心の底辺では宗教的なことを理解をし、しかも宗派を問わず寛容な国民は、世界でもあまり類を見ないものだと思います。
しかしこと、組織宗教に属する・・・ということになると、日本人は頑なになることがあります。
これは歴史を調べてみると、戦争に負けたことによる民族トラウマだけではなくて、戦前からそういう風潮があるように、どうも見受けられます。
海外では、無神論=危険人物というレッテルを貼られることが多く、大抵の人は、どこかの宗教組織に属しているものです。
かつては、日本もそうだったんですね。
いつから変わったかというと、どうも江戸時代なんです。
江戸時代、三代将軍家光の時代1612年(慶長17年)に、幕府はキリスト教禁止令を出しました。
その時、ほぼ同時代に、檀家氏子制度(だんかうじこせいど)が始まるんです。
つまり、生まれた地域によって、その人の所属する宗教や宗派が決められてしまう、社会の仕組みができてしまったのですね。
これは幕府からすれば、既存の仏教・神道勢力を、江戸幕府自らが、既得権益として保護する姿勢を示したのです。
当時の寺院や神社は、お布施が安定的に得られるのですから、きっと喜んだことだろうと思います。
しかし・・・これは、日本の宗教界に大きな悪影響をもたらしました。
それは、宗教勢力が伝道しなくてよくなったのです。
いやむしろ、伝道活動ができなくなったんですね。
なぜなら、お正月からクリスマスに至るまで、年中行事も、結構宗教色の多いものは多いですし、また多岐に渡っておりますよね。
初詣=日本神道
七五三=日本神道
お彼岸(春秋)=仏教
お盆=仏教
クリスマス=キリスト教
最近では、復活祭(イースター)なども、その輪に入りそうです。(笑)
このように、表向きは無宗教を装いつつも、心の底辺では宗教的なことを理解をし、しかも宗派を問わず寛容な国民は、世界でもあまり類を見ないものだと思います。
しかしこと、組織宗教に属する・・・ということになると、日本人は頑なになることがあります。
これは歴史を調べてみると、戦争に負けたことによる民族トラウマだけではなくて、戦前からそういう風潮があるように、どうも見受けられます。
海外では、無神論=危険人物というレッテルを貼られることが多く、大抵の人は、どこかの宗教組織に属しているものです。
かつては、日本もそうだったんですね。
いつから変わったかというと、どうも江戸時代なんです。
江戸時代、三代将軍家光の時代1612年(慶長17年)に、幕府はキリスト教禁止令を出しました。
その時、ほぼ同時代に、檀家氏子制度(だんかうじこせいど)が始まるんです。
つまり、生まれた地域によって、その人の所属する宗教や宗派が決められてしまう、社会の仕組みができてしまったのですね。
これは幕府からすれば、既存の仏教・神道勢力を、江戸幕府自らが、既得権益として保護する姿勢を示したのです。
当時の寺院や神社は、お布施が安定的に得られるのですから、きっと喜んだことだろうと思います。
しかし・・・これは、日本の宗教界に大きな悪影響をもたらしました。
それは、宗教勢力が伝道しなくてよくなったのです。
いやむしろ、伝道活動ができなくなったんですね。
なぜならそれによって、日本人の心の奥底に、
「伝道しない宗教こそが、伝統的で格式があって、ちゃんとした宗教なんだ。」
という、勘違いな文化が生まれてしまって、長年を経てそれが今、文化として定着しているんです。
ですから、この日本では、その檀家・氏子制度以来、鎌倉仏教のような大宗教は生まれていません。
そして日本では見事に、 伝道する宗教=権威ある宗教ではない=カルト宗教 というレッテルが貼られる基盤ができているんです。
さあ、これをいかに打破して行くか。
これはもう、ご自身の体験に聞いていただくしかありません。
みなさんも無意識的に、このような日本の宗教文化で育ったわけですので、組織宗教に入会なさっている方には、入信時にはそれなりの心の葛藤があったはずです。
それを乗り越えたからこそ、今のお立場があるんですね。
では、なぜその壁を乗り越えられたのでしょうか?
僕の場合は、総裁である大川隆法先生を、仏陀であると信じたからです。
仏陀なら、弟子の一人に加えていただきたいと思いましたし、今まで無意識に思っていた上記の価値観を、拭い去っても惜しくはありませんでした。
この、不思議な歴史を背景にした、宗教文化を持つ日本においては、
「自分自身がなぜ神を信じ、仏を信じているのか?」
「伝道しない宗教こそが、伝統的で格式があって、ちゃんとした宗教なんだ。」
という、勘違いな文化が生まれてしまって、長年を経てそれが今、文化として定着しているんです。
ですから、この日本では、その檀家・氏子制度以来、鎌倉仏教のような大宗教は生まれていません。
そして日本では見事に、 伝道する宗教=権威ある宗教ではない=カルト宗教 というレッテルが貼られる基盤ができているんです。
さあ、これをいかに打破して行くか。
これはもう、ご自身の体験に聞いていただくしかありません。
みなさんも無意識的に、このような日本の宗教文化で育ったわけですので、組織宗教に入会なさっている方には、入信時にはそれなりの心の葛藤があったはずです。
それを乗り越えたからこそ、今のお立場があるんですね。
では、なぜその壁を乗り越えられたのでしょうか?
僕の場合は、総裁である大川隆法先生を、仏陀であると信じたからです。
仏陀なら、弟子の一人に加えていただきたいと思いましたし、今まで無意識に思っていた上記の価値観を、拭い去っても惜しくはありませんでした。
この、不思議な歴史を背景にした、宗教文化を持つ日本においては、
「自分自身がなぜ神を信じ、仏を信じているのか?」
という、自らへの問いかけを日々行い、それによって自分自身を説得する以外の方法がありません。
しかし結局のところ、この、
自分自身を、神仏への信仰へと導く説得する行為こそ、精進 なんですね。
つまり、自分自身の、神性仏性を見つけ出し、拝みだし、磨き続ける作業こそ、この自分自身への説得であり、それこそが仏教で言う精進なのです。
この世界的に見ると、とてもヘンテコリンな宗教環境である現代日本は、ある意味では、とても宗教修行に向いている社会なのかも知れませんね。(笑)
でもまぁ、このようなヘンテコリンな宗教文化である日本では、組織としてそのような、
「なぜ、信仰が必要なのか。」
という問いかけに真摯に取り組み、そして説得力を持っている組織の思想は、
長期的視野に立てば、結局は未来の常識になっていくのかなぁと思っております。
なぜなら、人は常識に浸っていると、自らを説得する必要はないからです。(^^)
それでは、またのお越しをー。(^O^)/