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よく宗教では、金銭トラブルなどが問題となります。

宗教には、商品はありませんので、信じる方々の寄進やお布施がなければ、存続も活動もできません。

これは釈迦やイエス当時から、変わっていないところです。

ですが、とても残念ですが、テレビ報道などでは、「また宗教による、金銭トラブルが云々。」とか言って、宗教そのものに対する、偏見を助長するが如きの報道が、その中心を占めていたように僕は思います。

かつて、某女性お笑いタレントが、占い師がどうのこうのということでトラブルになったとき、TV番組「アッコにおまかせ」だったでしょうか。

「何を信じても構わないが、人に心配をさせることはいけない。」
と、メイン司会者の歌手和田アキコさんがおっしゃっていました。

ただ、この手の騒動は、昔から世間では絶えないのですけど、そこには共通する、妙な勘違いがあるのですね。

それは、これらの騒動のほぼ全てが、”宗教による金銭トラブルではない” からなんです。

これらは、宗教っぽく振る舞っているところの、"詐欺"にひっかっかた騒動 なんです。

世間では昔から、詐欺にひっかかる人は後を絶ちませんね。
これと同じメカニズムなんですね。

詐欺は、最初から「これは詐欺だ。」と見破っていれば、絶対に騙されることはありません。
これと同じなのです。

つまり、一人一人や社会全般が、宗教と詐欺との区別が付かない限り、この手の騒動は、絶対になくならない訳なんです。

ですから、宗教を名乗った詐欺による被害者が出ることが、もし本当に問題で、今後このような不幸なことが起こらないようにするには、

社会全般できちんとした宗教教育を施し、多くの人々が、宗教の教養を身につけた社会にならないといけないのです。

もしも、「宗教は問題だ。」と言ってしまったならば、「釈尊やイエスキリストは問題だ。」と言っているのと同じです。

そっちの方が、よっぽど問題ではないでしょうか。(笑)

また詐欺師に騙される人の、一般的なパターンとして、「欲心がある。」というのが言えると思います。

なぜなら多くの詐欺師は、人の心の中の”欲”を突いてくるからです。
要するに、欲のない人は、詐欺にはひっかからないのですね。

宗教的詐欺にひっかかる人には、やはり共通して”欲心”があると、僕は思うのです。

救われたいとか、努力以上に出世したいとか、努力以上に成功したいとか、死にたくないとか、数えればきりがありませんけど、そういう”欲心”が、必ずあるはずなんですね。

まあ、真理へいざなうきっかけとして、そういった方便もあろうかとは思います。
仏神は慈悲であり、愛の固まりでありましょうから。

ただ、仏典や聖書を通して、釈尊やイエスが語られていることを統括すれば、

結局のところ、

 「自我を調整し、公共への奉仕の生き方をしなさい。」 


ということだと、僕は思うのですね。

釈尊や、イエスの言葉(教え)から推測できるのは、
「人間は仏神の子であるから、青太文字に書いていることが、仏神の子としての生き方なのだ。」
ということです。

つまり、仏典や聖書をきちんと読み、その中に流れる、仏神の言葉の神髄を念頭に置けば、邪教や宗教的詐欺が言っているのは、要するに、”自我の拡大”でしかない訳ですから、彼らの言う生き方が、仏神の願いではないことぐらい、すぐに分かってしまうはずなんです。

要するに、様々な宗教の金銭トラブルで、社会が教訓にするべきことは、

今の一般的日本人が、きちんとした宗教的教養のある社会で生きていない

ということだと、僕は思うのです。

それでは、またのお越しを。  (^O^)/