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僕は信仰者です。

僕は神様仏様を信じる方々、全ての味方です。

現代日本は、無神論的風潮が強くて困ります。

無神論は、「神様なんていない。」ということを信じている宗教です。

同様に唯物論は、

「あの世なんてない。」「死んだら、何もかも消えてなくなる。」ということを信じている宗教です。

神様仏様を信じる方々は、この無神論的風潮を日本から払拭し、

信仰心を持って生きることが尊いことを、日本に根付かせるために、団結するべきだと僕は考えています。

一宗一派を超え、神様仏様の理念のもと、共に神の子仏の子として、手を携えるべきです。

そのことが、世界から戦争をなくし、不幸をなくしていくための、現実的な希望となるはずです。

日本以外の国では、信仰心を持っていることは当たり前ですし、宗教は尊ぶべきものです。

それが世界基準です。

しかし世界各国では、その宗教が戦争の原因ともなっております。

悲しむべきことです。

しかし日本の歴史には、世界ではまだ克服できていない宗教戦争を、実際に克服した歴史があります。

日本では約1500年前の聖徳太子の時代に、仏教と日本神道の戦いがありましたが、それを最後に、宗教が原因で人々が争うことはなくなりました。

歴史的に、世界で唯一宗教戦争を克服した日本は、世界に希望を与えるために積極的に宗教を研究し、信仰を研究し、その宗教間の争いを克服するために、今こそよき見本を示すべきなのです。

無神論者の根拠には、その理論を体系化したマルクス自身の、「この世の現実に絶望した」「この世の在り様に失望した」という、人生での経験が大きく影響していると思います。

ですからその体系化された無神論・唯物論というのは、決して真理という側面ではないと思います。

(ここで言う真理とは、要するに、どこから見ても、いつ見ても、誰から見ても真実だ・・・ということです。)

何故ならば、彼は、「人が司る事が出来る社会体制」によってユートピアを求めたからです。

共産主義思想は、ユートピア思想でもありますが、その共産主義的ユートピアは要するに、

「神様を追い払うことでユートピアはできるのだ。」ということなのです。

神様を追い払うことでユートピアができるのでしょうか?

それは、悪魔の暮らしやすい世界であるはずです。

多くの人類が、それで幸福になれるはずはないのです。

ではマルクスは何に絶望し、何に失望したのでしょうか?

「神がいる」ということにです。

「神がいたならば、このように不公平な、理不尽な世の中、社会であるはずがない」
「神がいたならば、このように苦しむ人、不幸な人がいるはずがない」

と、マルクス在世中の世の中を見て、彼はきっとそう思ったのでしょう。


逆説的に言えば、彼は理想主義的とも言えるし、神の愛を知っていたとも言えます。

この前提は、「神は人を愛している」「神は人を不幸に導くはずがない」と思っていないといけないからです。

しかし、この世の権力基盤として横暴に振舞う、当時の教会勢力の支配するヨーロッパ社会は、彼の理想とするものではなかったのです。

だから結論が、『神』などいるわけがない。
そして、「神」がいないのだから、あの世はない。

となったと僕は考えています。

その前提としては正しかった。

しかしその、理想主義的な思いは、神を否定するのではなく、当時の原始的な宗教界に向けられるべきでした。

そして「現実」を観る時に、「時間論・空間論」に考察が及ばなかった為に、理論として、そして結論として、不完全であったと思います。

考えようによっては、「無神論者」も「信仰深き者であった」と言うことが出来るとは思います。

僕は、無神論者は、「死」をとても恐れていると思います。
何びとであろうと、行き先がわからない不安は、突然に蓑を被せられて、連れて行かれるのに等しいと思うからです。

しかし、であるからこその宗教なのです。

哲学的に言えば「時間論」「空間論」ですが、宗教ではそれにあたるものが、「霊的人生観」です。
また仏教では、「人生」を、今の一世だけで考えるのではなく、「転生」という「永遠の世」で考えます。

今こそ、宗教の復権が必要です。

神様を追い出すことでユートピアが来ないことは、ソ連や中国や北朝鮮などの、

無神論=共産主義を国教とした国々の、血塗られた歴史が証明しております。

神仏を信じる方々は、どうか一宗一派にこだわらないでください。

その違いに目を奪われるのではなく、どうかその違いを個性として、心を広げる機会として下さい。

我らが魂の親である神仏は、この世もあの世もあまねく照らす、大きな大きなご存在なのです。