全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/

僕は看護師(男性)ですけど、日常的に人間の体とは、また生き物とは、本当に不思議なものだなぁ~と、日々、感心いたしております。

人生にとっては、極々当たり前のことでも、突き詰めていけば、とても不思議な神秘を、感じるものがたくさんあります。

その一つが、”見える”という現象だと思います。

僕たちは、この現象界(この世)において、様々な映像を見ているのですが、それらは実は、物質が反射した”光”にしか過ぎません。

その光を、眼の網膜(もうまく)というところで受け取り、それを電気信号に変換して、視神経細胞に送ります。

その、視神経から贈られてきた電気信号を、今度は脳で解析し、一瞬のうちに映像として、認識するに到ります。

光の全てを眼は、受け入れているはずなのですけど、僕たちが解析できるのは、可視光線という、一定の波長の光のみです。

これら”見える”という働きは、デジタルカメラとほとんど同じメカニズムです。
それらが何の工夫もなく生まれ、古来より継続しているのが我々生物です。

光とは、波長である・・・波である・・・こういうこともできます。
同様に、音とは波長である・・・波である・・・とも言えます。

僕たちは、飛び交っている波長を、あるものは映像化し、またあるものは、音声として認識することが当たり前のようにできます。

これは、とても不思議なことだとは思いませんか?
なぜ、そんなことが必要なのでしょうか?
要らないと言えば、要らないんですよ。
そんな生物は、地上には無限に存在します。

見えたり、聞こえたり、感じたりすること・・・。

これ生物では、とても当たり前のことですけど、なぜ生き物は、光を映像として認識できるのか、これが僕には、さっぱりわからないのです。

さて、僕は科学者の端くれですけど・・・
だれですか?

「端くれの科学者だろ。」って言ったのは。(大笑)
まぁ、そんなもんですけど。(爆笑)

冗談はさておき(笑)、科学的な整合性を持つためには、誰が見ても一定の結果が、いつでも表すことができることが重要です。

しかし、たとえば・・・5cmという長さは、物差しの目盛りがあれば、それは5cmだとわかりますが、僕が見ている5cmの長さと、あなた様が見ている5cmの目盛りの長さは、映像としては違うはずなのですね。

人によって、5cmの長さは、絶対に絶対に違うんです。
目盛りで合わせているので、便宜上同じことにしていますが、決して同じでないはずなのです。

生き物の視覚システムを知ってしまうと、そういう結論になるんです。
なぜなら、眼の大きさも透明度も、そして眼のゆがみも、同じ人は一人もいません。

そして、映像を電気信号化する機能(神経系)、またそれを解析し、情報処理する機能(脳)も、人によって精度や処理の早さは、当然違っていないといけないからです。

そして、自分と全く同じ映像を見ている人は、世界中に、誰一人として存在しないのですね。
同じものを見ていても、感じている映像は全く違います。

これが現実です。

先ほどの、5センチのたとえ以外に、見る角度も違います。見ている高さも全員違います。
全く同じ映像は、たとえ縦・横・高さの基準から成る3次元(この世)であっても、絶対にあり得ない存在なのです。

同じもの・・・は存在しても、同じものを認識しているわけではない・・・ということですね。

基準となるものは、便宜上存在させているだけで、本当に基準足りえるかは、???である・・・かも知れません。

さあ、科学的な人生の根拠とは、果たして一体なんなのでしょうかね?

あんまり科学万能に心酔すると、実はとんでもなくお馬鹿な人生を、歩んでしまうことになるのやも知れませんね。(笑)

まぁ、科学万能社会と言われますが、あんまり科学万能主義で生きていると、本当に大切なものは、かえって見えなくなると思いますね。

それでは、またのお越しをー。(^O^)/