全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット講演会へ。(^O^)/

前回記事で、偶然という名の神 という演題をつけまして、メッセージ等々で、結構反響がありました。

お言葉をいただけて、僕はとてもうれしいです。

現実的には無神論者にも色々ございまして、その中には一定の割合で、『理想的な宗教を求めている方々』 がいらっしゃいます。

つまり、今自分が知っている宗教の中では、各々の団体が標榜している神仏、またその教えには納得できない・・・という理屈ですね。

幸福の科学信者の多くの方には、こうであった方は数多いと思います。
僕もそうでしたけど、であるからこそ、今ここに集っていらっしゃるのですね。

ただ、本質的な面においての、そして、現代日本の底辺に流れる、基本思想としての無神論。
これは後代、そう、自分の子供の世代には、絶対に残すことの出来ない、日本の歴史の恥部であると、僕は考えているのです。

ですから僕は、この日本人の心の癌細胞である無神論を駆逐するまで、徹底的に戦います。

なぜならば無神論とは、日本の多くの方が思い描いているであろう、「神を信じることができない。」という、信教の自由の範疇に収まるものではなく、神を信じる人たちを、迫害し粛清する思想だからです。
それは歴史を見ても、今現実に、北朝鮮や中国で起きていることでも実証済みです。

さて、最近気付いたことなのですけど、無神論者というのは、偶然という神を信奉する方々なのではないか・・・と思えるようになりました。
これが、前回記事を書こうと思った動機です。

我々信仰者というのは、偶然という神を、頑なに拒絶する人々なのではないでしょうか。

私がカテゴリー、ダーウィンを斬る(進化論撲滅日記ですね。)や、この無神論撲滅シリーズで訴えている基本的な思想は、一言で表現すると、【偶然なんて、とても信じられないよ。】ということになります。

そう、無神論者というのは、【偶然という神を信じる人々】だと僕は思いますし、神様を信じる人というのは、【偶然というものを信じない人々】とも言えます。

文化文明論や、政治思想には色々ありますが、その根底にはやはり宗教があります。

これは歴史の現実ですので、たとえ無神論者の方と言えども、この世の現実そのものは、受け入れてもらう以外にはありません。

これらは、神の理想、願いをこの地上に実現させる・・・という理念の下、発信され、発展してきたものなのですね。

であるならば、彼ら無神論者が信奉する、偶然という名の神の願いを、地上に表した場合に、結果は一体どうなったのか・・・を、検証しなければなりません。

無神論者が宗教を非難する場合に、良く使うものにものに戦争があります。
確かに戦争というの多くは、宗教が原因になって起こるものです。

歴史上の戦争は、ほぼ全てが宗教によってもたらされたと言って良いと思います。
これは現代でも、欧米社会とイスラム社会が、現に対立していますね。

では、その戦争で命を落とした人間の数は一体どれくらいなのでしょうか?

現存する人類史から推測するに、およそ800万人と言われます。
めい一杯集めて、1000万人行くか行かないか・・・という人数です。

では、公に無神論を標榜する、共産主義国家において、国家に粛清された人の数は、一体どれほどなのでしょうか?

少なく見積もって、1億人です。

ソ連という短い歴史の国だけで、少なくとも3000万人。
カンボジアのポルポト政権下で、これも少なく見積もって200万人。

また中国では、毎年一体どれくらいの人たちが、政治犯として処刑されているか分かりません。

恐らく中華人民共和国という、たった70年余りの短い歴史の国家の中でさえ、1億人以上の人々が、命を奪われているはずです。

共産主義国家において、公表されている数字は、正しいとは限りません。
政府の都合の悪い人は皆、闇から闇に処刑さていると見て良いです。

北朝鮮の人口が、ほぼ同じ面積を持つ韓国の、約半分しかいないのはなぜでしょうか?
想像すると、それはそれは恐ろしいことですね。

無神論・・・偶然という神を信奉するということは、それは、戦争をするより恐ろしいことなのです。

無神論というのは、人類史最悪の宗教なのです。
なぜなら、人から良心の呵責(かしゃく)を奪うからです。
人間を、目的のためなら手段を選ばぬ存在に貶めるからです。

つまり、たとえ戦争状態であっても、神を信じるもの同士であれば、必ずどこかで、行動のブレーキのかかるものです。

しかし、無神論の名の下での粛清であれば、その、良心の呵責というブレーキの機能は、全く期待できないのですね。

なぜなら、良心の呵責を感じて、粛清を怯む人は、今度は国家(無神論政府)の、処罰の対象となるからです。

人類史の汚点、最大最悪の宗教 【無神論】。
これを駆逐し撲滅するために、皆さん、共に頑張って参りましょう。