霊言メッセージ公案からの学び 荘子様
2003年6月14日 幸福の科学○○支部礼拝室にて。
私(アモ~レ)は、老荘思想が好きです。
私が、田舎育ちだからでしょうか。(笑)
それとも、向上心や克己心が弱いからでしょうか。(爆笑)
老荘思想の、なんとも言えない牧歌的な雰囲気や、
あくせくしたところのない、伸びやかな考えに、とても共感を覚えます。
さて、ご好評いただきました、霊人メッセージ公案シリーズ最終章です。
以下荘子様のお言葉を、太文字でお届けいたします。
私(荘子様)の教えは、決して努力の放棄ではありません。
しかし、堕落の勧めでもありません。
しかし、堕落の勧めでもありません。
当然努力していること、それが前提にあればこその教えであります。
人はつい、人生の大目標を忘れるのです。
その大目標を、常に念頭に置いておくことが必要です。
その大目標を、常に念頭に置いておくことが必要です。
また常に、心にゆとりがあることが大切です。
常に、心にゆとりがある状態を保つためには、
一定の時間、積極的に心を見つめ、仏神と向き合う時間と、習慣が必要なのです。
一定の時間、積極的に心を見つめ、仏神と向き合う時間と、習慣が必要なのです。
人はすぐ、人生の大目標を忘れるからです。
心を見つめるためには、テキストが必要です。
また、テキストをつくる方も必要、また空間も必要です。
またそれがある方、それが大切だと思える方も同様に必要です。
そして実際に、人生の途中では、
十分に心を、見つめることができる環境にあるだけでも、幸せな人生と言えましょう。
水泳も息継ぎが必要でしょう?
スポーツの練習も、筋肉を休めないと体は覚えないでしょう?
スポーツの練習も、筋肉を休めないと体は覚えないでしょう?
目前の雑事に、ただ振り回されているだけの人生とは、
息継ぎもせず泳ぎ、不眠不休で体を鍛えているようなものです。
結局、何をやっているのかさっぱりわからない。
人というのは、平気でそんなことをやってしまうのです。
ですから、時折心を平らげ、
人生の目的と使命について、仏神の願いについて、考える必要がある。
自らの心を見つめ、それまでの人生について、
心のあり方について、整理する必要がある。
何を得、何を失ったか。
今、どこにいるのか。
自分は、何をしようとしていたのか。
何が、今からできるのか。
今まで何を学び、これから何を、学ばなければならないのか・・・。
それらを考えること。
それが、私の思想の真意です。
我々の世界に共通して言えることは、神、仏との一体感が非常に強いことです。
常に、そば近くに神がおられ、その神の属性の一部を実践し、
表現させていただいているという日々なのです。
皆、様々なことを、自由に行っているのですが、共通して皆が持っている認識は、
「神と共に生きる日々」なのです。
そして、他の方からは、自分にはない神の属性を学んでいる。
実践から、そして悟りから学びを得ていることは共通しています。
これから創っていく、ユートピアの参考になればと思います。
ユートピアへの願いを強く持つことです。
人間の働きの中で、最も大きなもの、強いもの、尊きものは、「心の力」なのです。
あちこち行き回って、細々したことをすることはとても大切なことです。
しかしこの、「心の力を知ること」
これが人生において、何より重要なことなのです。
これが人生において、何より重要なことなのです。