はじめまして。
昨日、アモ~レの過去世の一人である、ピッコロ某からご紹介がありました、引きこもりと申します。(笑)

http://ameblo.jp/oramorre/entry-11781562618.html

私(わたくし)も、今地上にいて、幸福の科学の伝道活動をしている、我らが魂の兄弟であるアモ~レの、過去世霊の一人でございます。

このブログにおいては、FJ通信と評して、長期に渡って、幸福の科学の実写版映画、ファイナルジャッジメントの映画に関する見解を述べてまいりました。

http://ameblo.jp/oramorre/theme-10077950901.html

また、アモ~レ信仰論というのも、私の作品でありますし、年初には、【誓い】 という詩も書きました。

http://ameblo.jp/oramorre/entry-11771885293.html

私は、昨日までギャーギャーと耳障りなメッセージ(笑)を降ろしていた、ピッコロの直前世が私であり、ピッコロ在世中は、彼の守護霊をしていたのが私でございます。

しかしまぁ・・・。
はぁ、全く・・・、ピッコロの、語彙(ごい)の貧弱さには呆れますね。(笑)

私は、生前においては、訳あって、人とは余り接触のない人生を生きてはおりましたが、今、我らの暮らす世界において、アモ~レの過去世群であるところの、アモ~レ霊系団の霊界世界において、ここの神殿を預かる者が私なのです。

ですから、神官や神主、巫女であるとか言うならまだしも、引きこもり・・・とは・・・。(笑)

人がどのように私のことを表現しようが、私は、全く意に介さぬものではありますが、ピッコロとは、また違った意味での信仰形態ですね、

彼(ピッコロ)が信仰を、活動的なるもの、そして実践的なるものとして捉えているなら、
私は信仰を、静なるもの、そして想念としての信仰を、仕事とし生業(なりわい)としている者でございます。

ですから、表面上の人間関係や、支部などの信仰活動においては、ピッコロらの影響が大きく、また、一人静かに神と対話する心境にある時などは、私は今、我らの代表として、地上に生きる兄弟(アモ~レ)を、静かに慰め、生きる力を与えております。

現代のように、仏陀・救世主の降臨の時代は、激しい伝道活動、宗教活動が必要とされる時期でございます。

このような時代は、たとえ表面上は、活動的に見える方であったとしても、その心の中では、我らのような人生を生きたる者が、地上に生きる方たちを励まし、慰め、神の愛を、真に心に実感していただけるよう、日夜働いているものと、私は信じるものです。

つまり、一人神と向かい合いたい・・・という、信仰の本能が人間にはありますが、そういう信仰の本能を強く抱く思いの中には、過去世において、人生を賭して人間関係を断ち、一生を賭けて、神との対話し、己が心との対話をして、神とのパイプを掘り続けた経験が、皆様にも必ずあるはずだと思うのですね。

盛んに活動することが、即ち仕事をしている・・・と、多くの人は、錯覚することが多いのですけど、密かに神を想い、神の霊流を降ろす・・・ということも、また大事な仕事であるのです。

例えるならば、農作業においては、田畑を耕したり、種まきや刈り入れ作業などが、仕事と思われ勝ちではありますが、田畑に水を引く作業、その水路を造ったり、管理したりする仕事もありますね。

そのような、眼には見えづらい仕事もあり、どちらが価値があるかは、一様にはわかりません。
そのような役割をしている魂の兄弟・・・というのは、伝道者や信仰者には、必ずいるはずです。

つまり、皆さんの心の中には、かつて引きこもり人生を生きた経験や、その記憶があるはずだと、私は考えるのです。

そして、心が神とつながるためには、別にそれは、多弁である必要はない。
ピッコロは、私のことを、まるで失語症の霊か何かのような、誤解を招くような言い方をしましたが(笑)、私とて、語る言葉は持ち得ています。

ただ、静寂の中でしか、得られぬものもある。

私は、静寂の中で、神を想うことが仕事であるのだから、
無駄な話はしないだけでございます。(笑)

神を知るためには、多くの言葉が必要かと言われれば、そうではないと思う。
いやむしろ、静かなる一言、聖なる導きの一言の方が、良いことの方が多いと思う。

ピッコロのように、始終くっちゃべっておっては、
むしろ、智慧が漏れるというものでございます。(笑)

また、ピッコロは私のことを、KY・・・(笑)
空気が読めない・・・とも申しておりましたが、

ピッコロが・・・空気が読めないのであって、(笑)
私は、敢えて、空気は読まない・・・のです。

この世においては、価値が混在し、本当の意味での正しさが、常識的な価値観となっているとは限りませんし、正しき価値の上に、物事が進んでいるとは限りません。

ですからそのような、無常の価値で流れるこの世の日常において、
小事に右往左往し、ジタバタするのは、時間の無駄でございます。

であるならば、自分が信じ、命を賭すに値するものに対して、
人の目は、良い意味で気にせずに、突き進むべきなのです。

人生は短い。

また、その短い人生の責任は、誰も取っては下さらないのです。

ですから、KYくらいがちょうど良い。(笑)

少しわがままぐらいが、ちょうど良い。

またそのためには、世の中は、少し斜めから見ているくらいがちょうど良い・・・。

そのように私は思います。

まぁ、アモ~レが、アメブロにお世話になって、もう早、半年になろうとした今、このような機会がいただけたことを、神に感謝いたします。

おおっと、ピッコロにも、感謝せねばなりませんね。(笑)

では、時折皆さま方に、お話する機会が、またあるやも知れません。
私のメッセージは、信仰論であり、言霊であり、調べでございます。

スピリチュアルブログでもある、大川隆法ネット後援会が、ピッコロのような、ただうるさいだけの霊人しかいないと思われるのは癪でございます。(笑)

ピッコロのような、頭すっからかんの魂だけが、このブログに参画しているわけではない・・・(大笑)ということが、このメッセージを通して、お伝えできれば幸いです。(笑)

皆様におかれましては、昨日までの霊界メッセージとお比べいただいて、魂の兄弟(過去世霊たち)の、個性の違いを知っていただく機会になればと祈ります。

では、またお会いいたしましょう。


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