全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/

前回記事でご紹介した、政治霊言のウンチク記事に移ろうかと思ったんですが、何かまだ言い足りない気がしましたので(笑)、信仰論を追記させて下さい。(^^;


ということで、今回はストレスという観点から、信仰と自由について・・・です。


さて、男女では、何にストレスを感じるかが違うと言われております。
僕もまだ、はっきりした研究原文にまでは、至ってはいないのですけど、職業柄また、幸福の科学での伝道活動を通して、観察的真理として、そういう実感を抱いております。


具体的には一般的に、女性は「恐怖」にストレスを感じるようです。

一方男性は、不自由さ・・・にストレスを感じているように思います。


たとえば、上司に叱られる・・・という同じ情況であっても、女性は、「怖い」という感情を強く持ちますし、男性は、窮屈だ・・・ということを嫌がる傾向にあるようです。


つまり同じストレスという感情も、男女ではその原因が違っているわけです。


ただ、この男女のストレスの原因である、恐怖心と不自由さは、どちらか一方・・・ということではなくて、比率とすれば、女性は恐怖を恐れる割合が強く、男性は、不自由さを嫌がる比率が高いと言うことです。


恐怖にも色々あるとは思いますが、最終的に恐怖心を克服する方法論は、この世的原理にはないと、僕は思うのですね。

なぜなら、恐怖心というのは、不信感の表れであるからなんです。


恐怖心=不信であるならば、恐怖を克服する方法論とすれば、信じること以外で克服することはできません。


一般的に、女性は信仰心が強いと言われますが、こういう、生態的メカニズムが関係しているかも知れません。


一方の男性的ストレス要因である不自由さ、窮屈さですけど、これは、現実を逃避するか、現状を克服しない限り、このストレスから逃れる術はないですよね。

この、現実問題から逃れる術・・・こそ、智慧なんです。


不自由からの脱却の鍵は、智慧にあるのですね。

智慧あればこそ、この現状の打開策や、人間関係における調和や、あるいは、行くべきか引くべきか・・・の判断が出来るのです。

人間は、良く知っていることで、迷うことはできないからです。


以前にも書きましたけど、智慧の範疇における自由・・・。

これが実は、人間個々人にとっての、自由の現実であり限界です。


この自由の限界の範疇を広げたければ、智慧を増やせば良い・・・ということになるわけですね。


ここからが重要ポイントなんですけど、智慧によって、恐怖からも自由になれます。
しかし、恐怖心そのものを消すことはできないんですね。


あくまで、恐怖の心を消し去るには、何かを強く信じなければならないのです。


僕は自由という概念に、心強く引かれる人間なのですけど、この自由というのは、信仰の元の自由、信仰の僕としての自由であると、このストレス論から思う次第なんです。


それではまたぁ-。(^O^)/