全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット講演会へ。

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今アモ~レ信仰論と評して、僕の内面の一部をご紹介しておりますが、正義とか怒りや裁きについては、

何本も書けるのに、「愛」については1本だけ・・・(^^;

ここに、僕の悟りの限界があります。(爆笑)

そう僕は、「愛」は苦手なんですよー。(笑)

で、苦手な愛は、また今度書くとして、仏教では慢心を戒めますが、この慢心について、これまたアモ~レの偏狭な、偏りきった私見を述べます。

仏教には、有名な【増上慢・ぞうじょうまん】という言葉があります。

そしてお釈迦様は同時に、自己卑下にも名前を付けていらっやるようです。
それを仏教用語で、【卑下慢・ひげまん】というそうです。

謙虚さをなくし、驕り高ぶって人を見下す慢心が増上慢です。
そして、一見謙虚で謙(へりくだ)ったイメージの自己卑下が、卑下慢なんですね。
悟りたるお方からは、両者は同じに見えるのでしょうね。

自己卑下も慢心・・・?
まあ、増上慢も卑下慢も、『向上する意欲がない』 『学ぶ姿勢なし』という意識においては同じなのだろうと、推測いたします。

増上慢も卑下慢も、人間関係の中での現象であることに間違いはありません。
たった一人で慢心したり、自己卑下に陥ることは、余程の妄想体質でなければ(笑)、不可能だろうと僕は思います。

そして増上慢と卑下慢、そのどちらも共通するキーワードは、『私だけは特別』 ということではないでしょうか。

自分は他の人とは違って、特別に優れているから、傲慢になってよい・・・とか、
逆に、自分は他の人とは違って、まったく無能であるから、そんな大それたことはできない・・・。

この二つとも、「私は別格」「私は他の人と比べて・・・」では、同じなんです。

卑下慢の事例で言えば、「いやいや、私なんか、滅相もございません。」
という語り口で、そう、PTA役員を辞退する時の口調ですね。(笑)
「私は周りの方々より、ずっと劣った人間です。」「優れた方々を差し置いて、そんな大それたことはできません。」・・・みたいな感じでしょうか。
(私は慢心傾向があるので、想像で書いています。笑)

確かに、増上慢・卑下慢に陥るには、それなりの背景や、過去の経歴があったと思うんです。

自分が他の人より優れていたこと。そしてその逆で、自分は他の人より劣っていたこと・・・です。
それは事実かも知れません。

ですが、しかしそれにはある言葉を、前振りとして付け加える必要があると僕は思います。
それは、「特定のある分野においては・・・」という言葉が抜かっていると思うんです。

増上慢・卑下慢に陥いるだけの経験をなさっていたとしても、それは全人類を対象としたものではないはずですし、歴史的検証をした訳でもないはずです。
もし検証済みであったなら、増上慢にも卑下慢にもなれないはずなんです。

たとえば、
登板すれば全て勝利する、絶対的な野球のエースピッチャーであっても、その方は食べ物一つ作れません。
石油一滴、輸入できません。
怪我をしたって自分で治せません。
かっこいい自動車に乗っていても、それはその方が作ったわけでも、その方が、外国から仕入れた訳でもないんです。

たとえ一時期、他人との比較で自己卑下に陥っていたとしても、それは、今現在のその環境下において・・・という前提があります。
外の組織においてはどうなのか。世界規模で見た時どうなのか。
後々評価されるものではないのか・・・そういったことは、全く未知数であるはずです。

少なくとも、増上慢も卑下慢も、この世の特定の、狭い範囲においての人間関係の中における比較でしかないので、その比較に追われている限り、人は決して悟れないはずです。

なぜなら、人間は一人では生きては行けないからです。
少なくともこの世においては・・・。

その事実すら、その方の考察には、入ってすらいないということなんです。

そこではなはだ僭越ではありますが、
【増上慢と卑下慢の中道】という考えが、あり得るのではないか。
そう、提案させていただきたく存じます。

増上慢と、卑下慢の否定です。

自分より優れた方がいたら、素直に学んで行こう・・・と思うこと。
そして自分が人より優れているところがあったなら、その才能で、神仏や人さまのお役にたって行こう・・・と思うことですね。

増上慢と卑下慢の中道であったなら、以前なら慢心していたシーンでは、むしろ身を引き締めにかかり、
更なる努力を自らに課しているはずです。

そして、以前なら自己卑下に陥っていたシーンでは、優れた素晴らしい方々に、囲まれて生きていく幸福を味わっているはずです。

どちらも幸福であるはずです。
そしてそれは同時に、狭い人間関係の枠組みから、自由になり、とても平和的な心境に、なれるんじゃないかと僕は思います。