全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ、大川隆法ネット後援会へ。 (^O^)/

前回記事、『悟りの正体』 ではたくさんの煌めくようなコメントの数々、本当にありがとうございました。
前回日記で僕は 【悟り=当たり前】 という仮説を提言致しました。
それはつまり、こういうことなんです。

たとえば皆様、「火を起こす、とはどういうことですか?」 と問われたら、どういうイメージをお持ちになるでしょうか? 

マッチを擦る、ライターで火を付ける、ガスコンロのツマミを回す・・・色々あるでしょうね。

我が家では最近、ガスコンロを買い換えました。
火を付けるツマミはなくなり、点火スイッチになっていました。
我が家の子供たちが想像する、「火を起こす。」は、「点火スイッチを押す。」というものになるはずです。

では同じ質問を、たとえばアフリカのジャングルに暮らす、原住民の方に投げかけとしたら、彼らからは、どういう答えが返ってくるでしょうか?

僕は現地の事情に詳しくないので、不正解かも知れませんが、
「木と木をこすり合わせて、火を起こすものだ。何を言っているか!!」と、おっしゃるのではないかと想像致します。

他にも 「水というのは、蛇口をひねれば出てくるものだ。」と、僕たち現代日本人は思っていますね。
これが僕たち、現代日本人の 【あたりまえ】 です。

しかし世界を見渡してみると、
「水というのは、水源までツルベを抱えて汲みに行くものだ。」とか、
「井戸から、ウンウン言いながら汲み上げるものだ。」
という、【あたりまえ】 を持っている地域の方が、遙かに多いのはずなのです。
日本も、過去の時代はそうでしたね。

火を付ける、飲み水を用意する・・・。
そんな、日常的な簡単な作業一つを取り上げても、地域や時代が違えば、人が考える【あたりまえ】は違ってくるんです。

同時代の同じ地域であっても、我が家のガスコンロのように、世代が一つ違えば、【あたりまえ】 って変わりますね。

またたとえば、今現代人の多くは、地球は太陽を回る天体・・・というのは常識でしょうが、昔はそうではありませんでした。
また、お笑いの文化ひとつとっても、関西のお笑いと関東のお笑いでは、質が違いますね。
大阪では、「ボケた人を、ほったらかすことは、人の道に反する。」という文化がありますが(笑)、他の地域では、あまりにもベタな突っ込みは、ヒンシュクを買うやも知れません。(爆笑)

ええ、何が言いたいかと申しますと・・・・何が言いたかったんだっけ? (爆笑)
おお、そうそう。(笑)

個々人の当たり前は、地域や時代、世代や文明度でも、相当な違いがありますので、それを放置しておくと、非常な混乱を呼ぶわけですね。

日本の人々と、砂漠の人々では、価値や美意識は違うんです。
また、いろいろなことを学び、賢くなっている人と、そうではない方とも、【あたりまえ】は違うんですね。

ではそういう、個々人の当たり前がまったく違う、この世界の中で、人々が自由でありながら、なおかつ平和に、そしてできるだけ多くの人が幸福に生きるためには、どうすれば良いのでしょうか?

それは・・・、神仏のあたりまえを知ることができれば良い ・・・という結論に、結局はたどり着くのではないのでしょうか?

神仏は、人間の親ですから、神仏の子である人間は、神仏のあたりまえを理解し、神仏のあたりまえを目指し、神仏のあたりまえを、自分自身のあたりまえとすることで、個人は幸福になり、社会も結局は幸福になるのだと、僕は思うんです。

その、神仏が抱いている、【神仏のあたりまえ】を教えるのが宗教 だと、僕は思うんです。

それではまたぁー。(^O^)/