こんにちはー。\(^o^)/

大川隆法ネット後援会長、アモ~レでございまーす。
今日も出勤前に、映画ファイナルジャッジメント(FJ)ウンチク日記を書いていきますね。

さて、作品で強烈な印象を持ったシーンとして、希(のぞみ)ちゃん宅にオウラン軍が押し寄せ、希ちゃんのご両親を、連れ去るシーンがありましたね。

この時のリンは、明らかに動揺していました。
幼い時、自身が同様の仕打ちを受けたことが、フラッシュバックしたように思えますね。

さてここで、希パパが身に着けているペンダントを、オウラン兵士が引きちぎります。
我々幸福の科学信者にとって、あれは正心宝をイメージさせ、心にグサッとくるシーンです。

オウラン兵士も、「宗教がなんだ。」とか言いながら、引きちぎりますので、信仰を持っていない人にも、
「ああ、あれは、信仰の証を示すものなんだな。」ということぐらいは、十分察していただけると思います。

僕たち幸福の科学の信者は、瞬時にあのペンダントを、=正心宝・・・と認識しますが、全世界で、信仰を現すペンダントを、正心宝・・・と認識する人は、今の段階では、残念ながらかなりの少数派です。

大部分の人は、あのペンダントを見て、即座に何をイメージするでしょうか?
そう、十字架のペンダント・・・を思い起こすはずなんですね。

キリスト教徒=十字架のペンダントは、世界中での常識なので、あのシーンだけをご覧になった方は、100人中ほぼ100人が、十字架のペンダントを、オウラン兵士に引きちぎられた・・・と認識するはずです。

その後、希は、「あんなに祈ったのに・・・。」とつぶやきながら、自らペンダントを引きちぎり、捨て去りますが、ギリギリまであのペンダントの形は、観客にはわからないように、映像では演出されていますね。

これは、あのシーンが、十字架のペンダントがひちぎりられた・・・という認識を、観客が十分に得ることができる時間を、確保していると思われます。

これで何が生まれるかと言いますと、この作品を見た、キリスト教徒に対して、信仰のスイッチを、入れさせているのだと推測いたします。

しかし希たちが失ったペンダントは、結局、十字架ではありませんでしたね。
法輪のペンダントでした。

幸福の科学の信者さん、そして仏教徒ならばわかるものです。
幸福の科学の信者さんは、あのペンダントを見て、

「やっぱり、幸福の科学のことなんだぁ。」と、むしろ単純に、あのシーンをご覧になったかも知れません。(笑)
そしてキリスト教徒は、あのペンダントを見て、「ああ、異教徒の宝具だったのか。」と思うはずです。

しかし、このペンダントの仕事は、これだけではないんですね。

その後、ROLE本部に戻った正悟は、このペンダントを握りしめ、悲しみに打ち震えています。

この後正悟は、イエスキリストへのキャラクターへと変貌していきます。
全世界の人々は、正悟=現代版イエスキリストということを、我々以上に鋭く認識するはずです。

ということは、これらのシーンは、どういう意味を持ち、どういうメッセージとして、全世界人々の心に落ち込んでいくのでしょうか?

そうなんです。
最終的には、

イエス・キリストは、異教徒への迫害に対しても悲しみ、嘆き、苦しみの思いを抱いていらっしゃる。

ということが、あのシーンによって、心に定着できるようになっているんです。

希たちのペンダントが、もしも十字架であったなら、全世界の人々は、

「イエスは、クリスチャンへの迫害に対して、嘆きの心を抱いている。」という、今の彼らに都合の良い、狭い認識をされてしまうでしょう。

しかしここで、法輪という、クリスチャンにとっては、異教、もしくは邪教と認識される宝具を敢えて選択し、強烈なインパクト映像と絡めて映像化したところに、このファイナル・ジャッジメントという映画作品が、ただの信仰映画ではない、強烈なメッセージ映画であることの所以であると、僕は考える次第です。

では、全国のアミ~ゴの皆様、またお会いしましょうねー。(^O^)/