こんにちはー。

大川隆法ネット後援会長の、アモ~レでーす。

前回記事では、映画FJのもう一つの見方として、聖書のみの知識や価値観での鑑賞をお勧めいたしました。

バリバリのネタバレですけど、まだご覧になっていない方、どうかお許してください。m(_)m

でもこれで、世界の人々の一般的な、この映画の見方が体験できるんです。(笑)

さて、主人公の鷲尾正悟のキャラクターモデルは、僕が思うに、イエスキリストだと思うのですけど、
そうした視点を持つと、他の出演者も同様に、イエス在世中に、イエス様の回りにいた人たちと、相当キャラクターがかぶるんですね。


リン・・・これを言って良いのかどうかは・・・疑問の余地がありますが、(笑)
イエスの弟子の中で、最も有名なあの人と、イエスに愛された、マグダラのマリアを合体させたモデルではないでしょうか?

明らかに外国人なので、異邦人である”サマリア人の女”も連想させます。


中西憲三は・・・、イエスの一番弟子、ペテロではないでしょうか?
正義感が強く行動派で、喧嘩っ早くって、敵の兵士の耳を、切り落とした武勇伝が残っております。


中西雄二郎は・・・、そうです。
バプテスマ(洗礼者)のヨハネでしょうね。

「我々は待っていたんだよ。救世主を。」
「彼は必ず帰ってくる。」

この言葉が、とても心に沁みます。

そして、映画の中で大悟前の正悟が、「お願いします。」と言って、雄二郎に頭を下げるシーン・・・。
これは仏教的、幸福の科学的には、かなり違和感のあるシーンでした。

しかしこれは、伝道活動を始める前のイエスが、ヨハネから洗礼を受けるシーンと、ダブりはしないでしょうか?


市原直樹は・・・、憲三の弟分なので、ペテロの実弟、アンデレだろうと思います。
度々憲三のことを、「兄貴!」と呼んでいました。

日本的文化を知らない世界の人たちは、彼を憲三の弟と見るでしょう。
冒頭シーンで、川原で放水ホースを勢いよく飛ばす場面は、ヨルダン川で漁をしていた、ペテロとアンデレを彷彿とさせます。


オウラン国営放送ディレクターは・・・、世界伝道の立役者、パウロです。

彼は、元NHKのディレクターだったはずで、未来維新党を貶めた張本人でもあります。
それが改心して、世界へ映像を流す大役へ・・・。

迫害者だったサウロが、改心して使徒パウロになったことと重なります。

パウロは、ローマの市民権もありました。
これは支配者側、オウラン側の人間という暗示でもあると思います。

知識人でもあったパウロは、守屋さんと合同で、キャラクターモデルになっている可能性があります。


他に、未来維新党から、武装しているROLEに参加しているメンバーが多い設定も、我々日本人にはとても違和感を覚えますが、イエスの教団には”熱心党”という、ユダヤ独立運動をしていた人たちが、数多く参加しているんですね。
ですから視点が違えば、全く不自然ではないのです。

いやむしろ、世界的な常識(聖書的観点)からすれば、ごく自然な設定なんです。

そして悪役のラオ・ポルトは・・・、イエス在世中、ユダヤはローマに支配されていましたよね。
その時のユダヤ総督の名は、ピラトと言います。

残忍なユダヤ総督ピラトが、ラオ・ポルトのキャラクターモデルだと思います。
ポルトとピラト・・・アルファベット的な綴りは・・・ほぼ一緒なのではないでしょうか?(笑)

映画の中で、日本を支配したオウラン人の名前が、中国っぽくない理由は・・・やはり、この映画作品のターゲットが、どこらへんにあるかを、如実に表している・・・。
僕には、そうとしか思えません。


このように映画FJは、イエスキリストの、現代での復活映画と見るならば、FJには、なんら不自然な部分がなく、むしろ、設定からキャスティングまで、考え尽くされた、実に洗練された映画作品なんですね。

見事です。

これを見た世界の人は、段々と、主人公にイエスキリストのイメージを、心に抱かずにはいられなくなるはずです。

しかしこれだけでは、世界の人たちから、聖書を元に作った、とてもよく出来た映画と誤解されるかも知れませんね。

でも心配いりません。

単なる、イエス復活映画と思っていた世界の人たちの度肝を抜く、強烈な仕掛けが、この映画には込められているんです。

その秘密は、それは大悟した後の主人公、鷲尾正悟の説法にあります。

全国のアミ~ゴの皆さん、それではまたぁ。 (^O^)/