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今日は僕が四国正心館で公案研修を受けてきたときの話です。
その際に、初めて精舎研修をお受けになる方と、一緒に行ったんですね。

その方は、82歳の男性で、ピアノの調律のお仕事を現役でなさっている、Yさんという方なんですけど、

この方の幸福の科学への入信のきっかけに、僕は大変感動いたしました。

Yさんは、常々、「人間はなぜ感動するんだろう。」ということを、お若い頃から考えていらっしゃって、

20年ほど前に、ピカソ霊示集をお読みになり、この経典から溢れるバイブレーションに、心が共鳴したことを、はっきりと自覚なさったそうなんです。

「感動とは、自らの心が持つバイブレーションと、受けるバイブレーションが共鳴し、増幅されることで起こっているんだ。」

と、僕はYさんから教わりました。

Yさん曰く、
「人は神の子だから、本来の神、親なる神のバイブレーションに、心が共鳴するようにできているんだ。」

「これが、感動なんだ。」

とも、教えてくださいました。

Yさんの人生を賭けた、貴重な学びを賜り、僕は感動いたしました。

そして、あることに気付きました。
それは、

もし人間が、進化論者の言うが如き、勝手に出来上がったものだとすれば、人が感動する・・・ということを、説明できない・・・ということです。

脳科学者は言うでしょう。
「感動している時に、人の脳のこの部分が活性化し、ドーパミンが出ることによって感動するのだ。」と。

ああ、そうでしょうとも。(笑)
CTとか、そういう計測機械を使えば、血流とかがわかりますし、脳波形でも、そういう活性化の有無はわかるでしょう。

それは、身体的にはそういう現象が起こっているでしょう。

しかしこれは、そういう問題ではないんです。
そうです、意味の問題なんですね。

なぜ人は、感動するのか・・・という問いは、即ち、

なぜ、感動する必要があるのか・・・という問いかけなんです。

全ての生物が、アメーバーから生まれ、生き残るためだけが目的であるならば、なぜ人は、感動する・・・という心の作用を得るに至ったのか。

なぜ感動できる生物である人間が、万物の霊長として、生物界に君臨できるまでになったのか。

この説明ができるか・・・です。

むしろ、生き残るため・・・であったなら、感動しない方が生き易いはずです。
弱肉強食、生き残りとは無慈悲なものだからです。

しかし、美・・・というものは、人は教わらずとも知っているように思います。
理想・・・というものも、人は教わらずとも理解できるように思います。

美しさとか、理想・・・というものを、人が本質的に知っていることは、これは進化論的生物観では、説明できないんです。

脳科学者はそれでも、「脳のこの部分が活性化され云々・・・。」と答えるでしょうが、(笑)
それは彼らが、問題の本質を理解できない脳構造であるからだと、私は思います。(爆笑)

人はなぜ感動するのか・・・

これは、人間がダーウィンが言うが如き、勝手に出来上がった存在ではない・・・という明らかな証拠であり、
神の子人間の、本質を突いた問いかけだと、僕は考えます。

Yさんの御精進に、心より感動いたしました。
同行させていただき、本当に喜びでいっぱいです。

神様のお計らいに、心より感謝いたします。