こんにちはー。

大川隆法ネット後援会へようこそー。(^^)

今日も進化論斬りに夢中な(笑)、管理人のアモ~レでーす。

僕たちは、多くの生き物の中で暮らしております。
今このブログは、お客様は大変少ないのですけど、たくさんの方からコメントをいただけるようになりました。
僕は、多くの方々の協力を得ながら、このブログ記事を通して、生き物が創られた存在であることの証拠を提示することで、唯物的な科学に負けない信仰心の一片でもお示しできたらなぁと考えてます。

さて、最も原始的であるとされているアメーバーたちでさえ、かなり高度な生き物であって、勝手に出来た偶然の産物として扱うことはできないです。

たとえば、顕微鏡でコレラ菌を観察していて、その途中で彼(?)の寿命が来て、目の前で死んでしまったとしますね。

先程まで、尻尾をクルクルと回して動いていたコレラ菌と、死んで動かなくなったコレラ菌。

これはいったい、何がどう違うのでしょうか?
見た目はほとんど変わりませんね。

解剖しても (できるかどうか知りませんけど・・・)、その違いはないはずです。
それなりの電気を与えれば、まだ動くはずですが、神経細胞が死んでしまえば、どうやっても動きません。

生きていたコレラ菌と、死んだコレラ菌とは、見た目、つまり肉の眼で見る限り、違いは全くないんですね。
命が尽きただけです。

では、その命とはいったいなんなのでしょうか?

過去にも、単細胞生物が地球に現われたとき、この命が宿ったはずです。
そして寿命ある限り生き続け、連綿とそれを繋いで来たはずです。

実はこの、命の始まりの始まりが、生物学者には分りません。

この、高度な蛋白質の化合物が、自主的に動き始めた事実を説明できないのです。

結局、その命の本性が、生物学者には分っていないということです。
医学者も分っていません。

生きているか死んでいるかの判定を、医師たちはすることができます。
生態反応を見る基準に、照らし合わせて判定しています。

しかしそれは、法律上の問題です。
肝心の命そのものの正体を、彼らは知らないのです。

進化論信奉の生物学者たちは言うでしょう。
「私たちは生物の歴史上の過程を研究しているのであって、命そのものは研究対象外だ」と・・・。

だったら、大口叩くのは止めなさい。
偉そうに何でも知っているが如く、振舞う態度を改めなさい。
真実の前に謙虚になりなさい。
それこそ、科学者としての基本的な姿勢です。


僕たちはネ、それを言わねばならないんです。
少なくとも、僕たちの心の中に、そういった強い思いを持っていないといけません。

信仰者こそ、真の命の探求者であり、心の探求者なんです。

未来の人々は現代社会のことを、『暗黒の科学の時代』と呼ぶでしょう。

僕たち神様を信じる者は、人類にとっての、暗黒の科学からの解放者なんです。
その誇りこそ、未来を切り開く鍵なんです。

その誇りに、幸福の科学も、キリスト教も仏教もイスラム教も、違いはないんです。