全国のアミ~ゴの皆さん、ようこそ大川隆法ネット後援会へ!
さて、前説の長いのが僕の悪い癖ですね。(笑)
今回は早速、本題に入りましょう。

前回記事で書いたやりとりで、僕は無事、S価学会から脱会するに至りました。
その後も彼らとは、細々したお付き合いは続きます。
何せ、ものすごく信者さんが多い地区に住んでいたので、どこに行っても出会ってしまい、逃れられないのですね。(^^;

一方、僕の方の研究は、なかなか進展しませんでした。
【夢の光】のような、新発見はなかなかなく、焦り気味でした。

仏典の中で唯一法華経のみが、人は仏の子という概念を強く打ち出し、そして久遠実情の仏陀(くおんじつじょうのぶっだ)という概念が現れ、信仰としての仏教がこの時に出来た・・・というくらいしか、認識は進みませんでしたね。
つまり、法華経なしでは、仏教は宗教になりえなかったのは事実だと思います。

ある年末に、僕は彼らから忘年会に誘われました。
場所は、例のバトルが開かれたお家です。
その日がちょうど12月24日だったので、僕は、こう挨拶してお家に入りました。

ア 「メリークリスマ~ス!!」

S 「ア、アモ~レちゃん、それを言ったらアカン!!」
  「少しは僕たちにも、配慮してくれんかなぁ~。」

ア 「えっ、でも今日は、クリスマスイブですよー?」
  「僕はてっきり、クリスマスパーティーかと・・・(^^;」

S 「忘年会なんや!!僕たちに、クリスマスパーティーはない。」
  「君の持論は、宗教融和なんやろ。」
  「頼むから、逆なでしないでくれるかぁ。」

ア 「あっ、これは失礼しました。ハハハハ。ごめんごめん。(^^;」

こんな調子でしたが、その後の二次会でのカラオケで、僕たちは、賛美歌 『諸人こぞりて』 を、一同肩を組んで大合唱しました。(笑)
もちろん、僕がリクエストしたんですけどね。v(^^)

モーロビトー コゾーリーテー ♪・・・・・
シュワキマセリー シュワキマセリー シュワーシュワー キマーセーリー♪

キリスト教文化に疎い彼ら、S価学会の信者さんにとって、きっとこの歌は、 『聞いたことのある、ロシア民謡』 か何かにしか、聞き取れなかったに違いありません。(大爆笑!!)

さて、脱会から一年くらい経過した年の暮れに、僕の叔父が、若くして病気で亡くなりました。
僕にとっては、生まれて初めて、肉親の死を経験しました。

僕は、とてもショックでした。
それは僕がその時、既に宗教を研究していたのも関わらず、死の意味がわからなかったからです。
文献研究のみの限界を、その時に激しく悟りました。

そして、看護師として働き、糧を得ている立場としても、死の意味を知らないことは、とても恥ずかしいことだと思いました。
当時の僕は、職業柄人の死に、あまりにも慣れ過ぎていたと思います。
肉親の死は、それを僕に痛感させました。

僕は慟哭の通夜の後、母に訊ねました。

ア 「なあ、お母ちゃん。人間はなぜ死ぬんやろ~。」

母  「そりゃぁ、心臓が止まるからよねー。」

ア 「ガクッ(笑)、そうじゃなくて、意味の方じゃぁ。」
  「なんで人は、死なんとあかんのじゃぁ。」
  「つまり・・・なぜ人は生きているのか・・・ってことじゃー。」

母  「はあ、そっちの方かね。」
   「それがわかれば、お釈迦様よねー。」

ア 「えっ、お母ちゃんは・・・知らないの?」

当時の僕は、年上の人は、当然そういうことは知っていると思っていました。(笑)

母  「私は、お釈迦様じゃぁないから、そんなことはわからん。」
   「わからんなりに、一生懸命生きとる。皆そうじゃ。」

ア 「じゃあ、お釈迦様なら、それがわかるんか?」

母  「それがわかるのが、お釈迦様じゃ。」
   「お釈迦様しか、それ(生死の意味)はわからん。」
僕はこの母の言葉で、一気に仏陀への尊崇の念が高まりました。

そして、

「俺の母ちゃんって、スッゲー!!」

と、生まれて初めて(笑)、強く母をリスペクト(尊敬)したのでありました。(爆笑)

おぉ今回も、幸福の科学との出会いには、辿りつけませんでした。 (^^;
筆力不足です。   

ということで、またのお越しをー!!  (^O^)/