さいかちが平日修行させていただいている塾では、続々と期末テストの結果を持って来る中学生で溢れております。
もう、戦々恐々、というのが正直なところ。
あえて書きますが、どんなに、どんなに、確信があっても、結果は蓋を開けてみるまで分からないものです。
それに、どんなに、どんなに頑張っても、時に結果は思い通りにならないことも、あるのです。
そんな時、さいかちは思うのです。
テスト、特に期末のような定期テストに関しては『要領の良さ』が不可欠なんだと。
で、なのですが、、要領の良さをはかるのに最適なものがあります。
それは、ノートです。
板書に追われ肝心の理解がややおろそかになっている場合と、そうじゃない場合のノートには差があるのです。
では、ここは書くのが難しいのですが、どうしてそういう差が生まれてしまうのでしょうか。
これは、あくまで私の感覚的なお話になる、ということを前置きさせていただいた上で述べさせていただきますね。
これは、ノートをなぜ取るのか?という目的にズレがあるからだと私は見ています。
一方は、板書に夢中。
一方は、覚書に集中。
この場合、前者は黒板の文字を一字一句写すことのほうが、先生の話より重要になりがちです。
に対して後者は、いわゆる『メモ』ですよね。
メモには、自分の言葉が反映されてきますので、覚えやすいんです。
極論を言ってしまうと、いっそ板書をやめて、授業終わりにノートチェックを行う、なんて授業が一個くらいあってもいい、なんて考えているくらいです。
ただ、最近多いのですが、プリントを配って、ノートを取らせるでもなく、とにかく穴を埋めさせるだけの授業については論外です。
大体、こういう授業を受けている生徒の成績は、残念ながら奮いません。
また、傾向として、学力がやや乏しい生徒に対して、特別に何かをしてあげる時に限って、こういうスタイルになりがちだったりもします。
これ、効果はあまり期待できませんし、ただでさえ苦手な教科のプリントの穴埋めほど苦痛なものはないので、ますますその教科が嫌いになる負のスパイラルに陥りがちです。
と、さいかちは時々思っています。
基本は、好きこそ物の上手なれ、なのです!
今日はこの辺で。