ちょっとした私の哲学です。

 

善人のほうが悪人に都合良く変われという理屈をほざく人間。

善人を思想コントロールするのはチョロいと思っている。

悪人はやりたい放題、善人を騙す詭弁を語る技術を磨く。

最終的に善人ばかりが譲歩を迫られて奴隷化され困窮し滅びていく。悪人はそれでいいと思っている。

つまり、元から善意ではなく、悪意の悪人。しかし、善人面してスピリチュアル教師面する。

そういう人間の死後の行き先は無間地獄行き。

一般に宗教が嫌われるのは(無宗教となる人間が多いのは)、悪質な精神世界教師にこういう傾向があるから。

 

追記

スウェデンボルグの霊界著作群を見ると、この世の偽善者(実際は悪人)と天国に行く真の善などについては詳しく研究されています。

基本的にいかにもな悪人風の悪人というのは少ないのですよ。(海外ならともかく)

それでは善人は悪人を避けますからね。善人を騙し利用するなら、善人のふりをする(偽善者になる)

そのため、この世の悪人は善人を装う偽善者のほうが多数派であり、純粋な善人は見破れずに騙し利用されるのが常なのです。

そのため、進取に知識、知恵、正しいものの見方を身につけるという霊格を上げることが重要なのですね。

 

追記

二元性を一元にとかスピリチュアルでよく分からない表現をされるのですが、基本的にこの3次元地上界は善人と悪人が入り乱れた状態になっているわけです。これが死後には精霊界(中有界)で「人生の行い」から「魂の性質」までふるいにかけられて善人と悪人の分離作業が行われるわけです。そして、善人は天国(これもランクがあります)に上げてもらい、そこで似たような性質の善人たちと調和して暮らすわけですが、悪人は地獄に落ちていくわけです。そして、その地獄の世界では同じような悪人しかいなくて、しかも彼らは魂の本性が丸出しの状態になっているため、いきなり殴りかかってきたり喧嘩状態になったり相手を虐待したりと滅茶苦茶な世界なのです。そこでは話し合いなんて通じないですし、つまり、現世で通用した善人の恩恵を受けたり騙して利用する的な手法が通用せず、自分と同じような悪人達に囲まれその生き方の愚かさを思い知るわけです。話し合いをしたところで相手も詐欺にかけようとしてくる相手なので通用しないのです。この現世は仮の世界でありテストなのでこの現世でいい思いをするために他人を利用して不利益を与える的な生き方をしてしまうと、最終的に死後に現世の行いや魂の性質を問われるため精霊界(中有界)で失格(地獄行き)の烙印を押されてしまうのです。そしてこういうあの世の構造は隠されているのです。一応、どこかでこういう教えは説かれていたりするのですが、それを受け入れるか拒否するかはその人間の魂の性質、霊的な窓が開かれているかなどで決まるのです。こういうのを真実だと気付いて受け入れる人を「天の光明を受けている」と言い、全く受け入れられない、信じられない、実感がないという人は「無明」(光明を受けていない人物)とされるのです。どちらかによって人生の生き方も変わって来るのです。たまたま臨死体験した人などは死後の世界の実感を得たりしているので光明を受けて信じるようになり生き方もポジティブに変わるのですね。

 

 

追記

一応、ここはスピリチュアル関係のブログなのですがなぜかスピリチュアルに疎い人が混じっているのか、憎しみの波動を越えて殺意とかそういう下手すると殺傷能力のある悪念や波動が私の内部に伝わってきています。私は昔からこういう本質を突く投稿はやっていたのでこういう波動を受けるのは慣れっこで耐性もあるのですが、なぜか時間が経過するごとにその悪念の殺傷能力が強まり、慣れていた私でさえ耐えられないレベルになってきています。