今回は父親の病気の事について書いてみようと思います。

 

父親は30年以上ずっと「透析」していましたショック

透析というとご存知の方もいると思いますが

結構過酷な病気です。

 

最初の方は、ザ健康という感じで早起きは三文の徳みたいな考えのお父ちゃん!

「経営者」になってから成功し小学生の私たちは毎週土曜日と日曜日は外食がほとんどでした。

ですが、

いつの頃からか段々と食欲がなくなり元気がなくなってきました。

 

私はまだ小さかったのであまり何かを思う事はありませんでした。

 

そしてお父ちゃん曰く、正座ができなくなったところで病院にいきました。

 

そしたらすぐ大きな病院に行ってくれと言われて、そのまま検査したら

腎臓が動いていない、どちらもと言われて検査の途中で貧血で倒れたそうです。

 

そこから

透析するのは時間の問題といわれて、すぐ透析を選べなかったお父ちゃんは

食事療法と薬で何とか透析を拒否しましたが何度も貧血で倒れるため

結局、透析をする為の「シャント」というのですが

腕の動脈を引っ張って透析をできる手術をしました。

 

そこでうちの母親は同じ病室やその病院の中で「離婚届」を押しているご夫婦をけっこう見たそうです。

「病人の世話をするために結婚したわけではない」という事を沢山の方が言っていたそうです。

 

その現場を目の当たりにしてうちの母親はとても世間の冷たさというか人間の怖さを感じたそうです。

そして、一生お父ちゃんを支えると心に決めたそうです。

 

家族もここから沢山の試練が待ち受けていたのでハッキリいって過酷でしたね。

 

ただ「腎臓病」には2種類ありまして

糖尿病からくるものと

まったく関係ない突発性のもの。

 

お父ちゃんは突発性の方でした。

 

小学生だった私は病院内で足が無い方もみましたので怖かったものです。

 

そこから

透析は慣れるまでは血液を機械で急に循環させるので

気持ちが悪くなる嘔吐することもありまりた。

一日おきに4時間からスタートの透析の始まりです。

太い針を一日おきに2本さすんです。

血液を抜く方ときれいな血液を戻す方と2本さします。

これも我慢しているお父ちゃんをみるのは辛かったです。

ですが

お父ちゃんが一番辛かったと思います。

 

そこから

沢山の合併症がでてきてしまうので

入退院の繰り返しを延々とする未来が30年以上

待ち受けていることを当時の私たちは知る由もありませんでした。

 

そこから

目が見えなくなる病気で手術。

心臓病で成功率10%とか言われて手術。

その後、カテーテル手術。

定期的に具合が悪くなったりで入退院。

シャントの再手術。

皮膚にばい菌が入って手術。

そして

最終的には足が動かなくなったりで車椅子。

 

思春期は遊ぶ時間はあまりないし

いつも病院にいっていた記憶があります。

 

私は元々、インドア派なのでおとうちゃんにくっついて何かをしていましたね。

 

ただお父ちゃんを助けたかった一心で頑張ったように思います。

 

きれいなことばかりじゃありませんでしたけどもね。

 

たくさん書くときりがないので

気づいた時また書いていきます。