先日の続き
これからの変化へのメッセージ続きなどがあり
この大いなる変化に意味があるのは、
霊性の成長、愛や慈悲、平和、へと開かれるためのプロセスですし
国を支える人の思想、お金についての価値
当たり前だと思っていた流れも、第三の目が開いてきた人には
その流れのベールの裏が微かに見えてくるようなことがあるかもしれませんし
これまで価値とされてきたものが、ガタガタと崩れ落ちるような
そんなきっかけとなる出来事が様々なところで頻繁に起きるようになり
変化の過程では、大小の違いはありますが、もちろん良い変化もありますし
次に迎え入れたくないと感じる事柄もあります
個人、社会、国内、世界問わずに、痛ましい事件、事故や災害を通して、これまでよりも
霊的な感覚に目を覚ましてゆくひとが増えてきます
今も増えています
すぐ側の、あなたの隣のひとがそんな可能性がある人となるのです
変化の過程での、ハートの感触としては、まだ、何かがふつふつと湧いてくるような感じ?であっても
自分にとって、スピリットとしての真の光、喜び、価値が何なのかにも意識がむけられ
問題を通して違和感を持ち始める方が増えて来ます
一般の私たちが、子供が、人種を問わずに、戦争、略奪、弾圧、差別、そんな世界の事象、自然災害、諸々の悲しみや凄まじい現象を
メディア、本、動画を目にしてゆくなかで
今や、門番もいないかのような
ダムが決壊したかのように情報は流れ、漏れ、諸々の情報は選り好みなく、電波、文字、映像、オンラインと言う手段を得て、行き渡り続けます
自分や、それに近い家族、友人のひとりひとりが、近くて遠い隣の県、隣の国の嬉しい、悲しい出来事を知り、まるで他人事ではなく、自分のことのようにも思えてきます
嬉しいこともある反面
時には寿命などとは受け入れがたいような、突然の親しい人の死を体験したことで
静かに考えはじめる時が訪れるかもしれない
内面に思いを馳せる時間が増えるかもしれません
そこには、守
『早くいけ!早く次のあのレールに乗るんだ!置いて行かれたいのか?』
の指令の声も聞こえなくなり、
自分がこれからどこへ行くのか、何がしたいのかさっぱりわからなくなり真っ暗になります
それすらも通り越して
オーバーヒート
病気
考えることを休んだとき
理屈なんかでは証明できない
『やってくる声に気がつきます』
そして、あるひとは、悲しんだ出来事、命より大切な我が子を、失ってしまう出来事を通して
『なぜ、私なんだ』
との苦しみと悲しみの種と言う闇を持って、それを外に出すと言う理解を知らずままに育てていってしまいます
そして、別離では、いったいどこへ旅だってしまったのだろうか?
この私も、どこからきてどんなところへ帰るのか
私は誰なのか、星となって私の前から消えてしまった昨日まで隣で笑っていた、大切なあの人は?
いったいどこへいったと言うのか…。
本当にお墓にはいないのかと探しはじめる
『逢いたい…例え見えない魂にだって…。どこへいったら再び触れることが出来るのか…
どこにいけば、またあの口癖がきけるのか…。
辛い、辛い、悲しい、涙がもう出ない、助けて、逢いたい…苦しみいつ終わるのか、辛い……………カミサマ………』
命って何なのか?
『なぜあの子はこの世に生まれてきてくれたのか』
なぜ、私はこんな苦しみを味わうのか
なぜ?なぜ?
などからでも見えない領域への興味、探求へと開かれ始めるルート入り口、きっかけとなります(きっかけは他にもあります)
自分は何で出来ていて、いったいどこに繋がっているのかを、自分なりに知りたくなってくるひとが増えます
あるいは、終末期を知りながら、死にゆく間際の人は、残された時間の中で、自分が死んだらどこにいくのかをベットで必死に考えるのです
身近な家族と友人は、聞かれるんです
私は死んだらどこへいくのか?
と、ただただ一緒に、どこへ行くのだろうねと、隣で寄り添い、それぞれの心の信ずる世界に思いを馳せることしかできません
喉が乾いた人は、探し始めます
泉を
そして見つけたら飲み干します
必要だから
これまで、孤独な道なき道を、自力で草木をかき分けながら前を向いて歩いた内側の道です
暗闇の中でも、小さな光にしがみつき、自分の中を闇でいっぱいにされてたまるか!と弱さを必死に奮い立たせて
手探りの光を頼りに歩いてきた人がガイドとなって、必要とされる時がやってきています
山への頂上はひとつでも、ルートはたくさんあります
暗闇の中から、目覚めようとしている人が必要な分だけ、ご縁の数だけ
ガイドもたくさん必要です
心当たりのある方は、どうかもう
自分を疑ったり、恐れたりせずに、その時に備えて泉を溢れさせ
目印となる、あなたらしい光を煌々と点灯させていてください
きっと、あなたを待ってる人がいます
だから、ここまで来て諦めないでください
これからです
KIRI
感謝
列