ジリジリと痛いくらいのイライラに激しく囚われたことありますか?
子供を必要以上に怒って辛辣なまでに言い続けてしてしまうことが続くと
さらにトラブルを運んでくる子ども
イライラは子供に伝わり
悪循環は巡る
休まらない日々
殴らないまでも、言葉と圧力は暴力と同等
鬱ですね
ストレスや冷え、疲労が積み重なって起こってしまうのだそうです
『さっき言ったでしょう

『何で出来ないの?

『何でやらないの?

『早くして!

『それはダメ


人格を否定するような言い方
調子が悪い
疲れがとれなくて朝は起きられなくなる(これは今でも何となく疲れるとたまにあります)
疲労や、何らかによってついた心の傷によって荒れてしまうと
さらに針のように全身につき出た過敏になった神経
大切な自分と愛する者を抱いて暖めることが出来ないばかりか、さらに針で刺してしまうように傷つけてしまうと言う地獄
そんなものがあるなんて知らないがゆえ
その『繊細さ』が増して仇となる日々
涙も枯れてか出ない
出ていないことにも気づけない
体がうごかなくてしんどい
他人が煩わしい
幸せにしたいはずなのに
癇癪を起こしては、子供の寝顔に自分を責める日々、思いはどんどん空わまりしてゆく
わかってもらえない
でももう一人の自分が言う
『何か変だよね!気づいて!』
自分に何が必要なのかを必死に考えた
考えたってわからない
でも今ならわかる
自分を目覚めさせれ微かな愛ってものがまだ自分のどこかに伝わっていたのだろうか
子供や犬たちの無償の愛に触れる
それは精神薬でもなく
律する厳しさでもない
役割のニーズに答えすぎて
神経がすり減ってしまったんだろう
それは
『長い間、本来の自分に繋がっていなかったから』
最後は自分に繋がる、再び出会えることが癒しになる
ゆっくりでいい
だから元気になって、あっちに行きたくなったら、みんなと一緒に行けばいいし

厳しく荒々しいいけど、成長できる可能性もある外の世界に自分のペースで帰ってゆけばいい
人生で、有限な命と信頼をかけて真摯に自分と向き合った者に向けられる
落ちこぼれのレッテル
それには『は?

だから穏やかさを追ってきた
観音様を見て、マリア様をみて、ダライラマ14世を見て
自分がこれまで正しいと信じてきたことでは解決が及ばないことがある
これまでの自分に気付いてゆくにつれ
当たり前から目が覚めてゆくにつれ
子供や、自分よりも弱い立場の人に対して
『あんな風になりたいな

と果てしない高い望みを持ってしまいました
もちろん理想と現実のギャップを埋めるにはノイローゼにもなりそうですよね
でも、なれるなれないよりも、この望みが、私をいつも上へと動かしてきました
だからもし、同じような人がいたら、今はひとりでも大丈夫
『自分を思う優しさ、思いやり、労り、暖かさ、柔らかさ』
それを全部まず自分にあげてみた

養育や置かれた環境などによって、生き抜くために癒しの性質でもある女性性を封じ込めてしまうことがある
医学的な視点では女性ホルモンの減少も手伝ってるかもしれません
女性性を自分自ら封じ込める
だけどその時はそれが必要だった
だからそんな自分も許して解放してゆけるといい
大切な何かを、この世のあらゆる恐れから守るためにしたこと
だけど、心が壊れてしまった
体のバランスが狂ってしまった
今は、女性性を復活させるとき
『繊細になんてなりたくなかった!』
『わかるから!』
『大切にされなかったって思ってしまうから』
ハートを閉じるように痛みを感じないようにしていく
だけど、ひとつだけ封じ込めるなんてできない
明るい喜びも、感謝も全部感じなくなっていた
そんなことになる前に、繊細さを知って、嫌わないでください
これからは
その研ぎ澄まされたアンテナが
時に剣となって
時に盾となって
きっと私を守る
暖かさ、思いやり、優しさ、メンテナンス
自分ひとりで抱え込まない
『助けて!』
って言う
『出来ない!』
っていっちゃう
『やりたくない!』
っていっちゃう
『不安だ!わからない』
っていっちゃう
『楽しくないなっ、嫌だな』
って思ったら早めにフェードアウトしてっちゃいましょう
嫌なことを言われた、バカにされたと瞬時に感じた時は
後からしこりとして思い煩うよりも
『今のはどういう意味だったの?ショックだったんだけど』
と、誤解を解く意味でも相手に突っ込む
わざわざ喧嘩しなくたって
自分の感じたことを伝えてゆく練習をしてくことができる
感謝
