①からの続きです
(*^_^*)
仏教などの学問は古くからありますが
私にとっての信仰とは、心の化学だと思ってます
信仰だからといって、事象と合わない道徳に支配されたり、教えに固執したりしてしまうものではなく
生きる上に遭遇する、避けられない様々なこころの痛み、ショックによる苦痛と苦労からゆっくりと解放させてくれるもの
きれいだった心が、その毒気により、自分にとって(他人にとってではない)悪い方に作用してゆく
ピュアな状態をピュアではない状態に変化させてゆくきっかけがあります
人生の教訓を受け取らずに、辛い方ばかりに顔を向けてそれを見ては嘆いて『夜叉』のようになっている人は多いのです
私もここで人として日々起きることに翻弄され揺れたり、和んだりしながら、生かされている身分ですので
偉そうなことは言えません

人( ̄ω ̄;)
ですから、この学問自体はは恐ろしいもの何でもありません
毒で変化してしまった人々を、仏さまはや神様と言う普遍的、遍在的な存在にシンボルを使い
宇宙にあまねく行き渡る、深い智恵を処方しているけども
本当の自分に気づいてほしい
それはスピリチュアルでもなんでもない、現実に沿ったものです
何らかの原因から、わたしたちの中にある、小さくなってしまっている、神性を呼び覚ますきっかけともなるものと思います
『思いは波動』
これは実際、自分はエネルギー体に違いない、だってそれは理屈抜きにそう感じるから
なら必然的に、思いは波動だろうと信じられます
私は特別の宗教はしていませんので、ここでこれこそが宗教だ、という壁は、取り払ってしまうとですね
高い波動を感じさせる言葉があります
『南無妙法蓮華経』
お経?
そうです

しかしこれは、汚れを拭い去り、波動をあげるには優れた『マントラ』として
次元の低い汚れに、高い波動となって作用してくれる言霊の波動を持っているのです
もちろん、アーメンでも南無阿弥陀仏でも、天使の祈りでも良いのです
マザーテレサも、書籍の中で、自分の信仰している身近な存在の言葉でも、祈ることが良いと言っています
宗教派閥とは無関係に、とてもとても波動が高く、チャクラにも響き作用する『優れたマントラ』です
病は気から
と言いますが、例外は別としても
自分の心の姿勢が、あるべきあなたの本来の姿からかけ離れてゆがんでくると
自分が見たものも、正しく判断することはできなくなり
頑張り過ぎて、批判癖などもついてしまい
それにより、私は誰々のせいで幸せになれない
と、いつまでもそんな状態に自分からなっている
実は『ぬるま湯』だった状態
にはまりこんでいってしまいます
次に続く
(^^ゞ
読んでくれてありがとう

(*≧m≦*)