①からの続きです
長いです、興味があったらどうぞ読んでくださいね
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患者はもはや源と直接には結び付いてはいないのだから間接に結び付くことになる
エナジーが流れ出すとすぐに患者は治されるのだ
そしてもし治療者が、本当に理解している人なら…。
というのは、治療者になれても理解してはいないということがあるのだから
治療はしているがどうしてそうなるか知らない治療者がたくさんいる
治療のしくみを知らないのだ
理解も同時にできていれば、患者が治るのを手助けできるだけでなく
ヒーリングが生ずる源に気づくように手助けできる
そうすれば、患者はいまかかっている病気が治されるだけでなく
将来の病気からも守られる
そのときヒーリングは完璧なものになる
治すだけでなく予防ともなるのだよ
祈りの体験、神の、愛の全体の体験と言えるものになる
だからここにいて数日間はヒーリングをしないように数日間瞑想して私と周囲に育っているファミリーとチューニングを合わせなさい
チューニングを合わせなさいとは、理論的に知的にものごとを吟味してはいけないということだ
ここで起こることを、それがなんであれ、深い信頼のなかで受け容れなさい
ただ一致するだけで良いのだ
考えてはいけない、考えることは治療者には妨げのひとつなのだから考えることをやめることから始めなさい
ここではただ空っぽでいなさい議論も推論も出来ない小さなこどものようになりなさい
子供はただ受け容れるのだ
信頼することは子供には当たり前のことだ
私を、ここの人たちをただ信頼しなさい
あなたの理性にはそれは受け容れが難しいというときでさえも
受容には理性が飢え死にしてもかまわないほど値打ちがある
受容か理性かを選ぶときはいつでも受容を選びなさい
理性もまた、あなたがそれを受け容れる手助けをしだすのがだんだんわかることだろう
あなたが何事であれ受け容れて
イエスやノーがなんの違いも生み出さなくなるとき
理性もまたあなたの信頼に同調するのだ
あなたの中で理性と信頼が出会うとき、あなた自身の葛藤が越えられる
これが治療者となるための訓練の第一歩となるだろう
理性と信頼、ハートとマインドとの間に架け橋が必要なのだ
マインドは二義的となりハートの道具となるような架け橋が
普通はマインが主人でありハートは従わなければならない
そうするときには
医者にはなれるだろうが治療者にはなれない
セラピストにはなれるだろうが、治療者にはなれない
セラピーは科学の一部であり
ヒーリングは宗教の一部なのだ
それだから理性によっては、頭を使うことによっては、医学の専門家にはなれるが
ヒーリングエナジーをもつ人にはなれない
と、いうのもそれは別の源から来ているのであり
すべてがさかさまなのだから
以下略
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何でもそうかもしれません
知識や技術は、まあ積めるんです
だけど、そこに
『源を感じる、繋がる』
という繊細な豊かさがなければ、治療者(ヒーラー)にはなれないということだと私は解釈しました
そしてありのままを感じるとか、受け容れるとか
観るってことも自分を信頼していなければ、正直
他人を見るのも受け容れるのも結構きついと思うんです
だから見てわかるような物質的な価値との側面だけをみたり、もちろん知識や技術があるだけでは成れない
見えない大切な部分も兼ね合わせた両方の車輪が必要になってくるんだろうと思う
それらに気づくまでは、果てしなく自分に厳しい生き方を強いていってしてしまうんだろうなぁと思います
みなさんも、少しずつアンテナは敏感になってきている
これからはさらに
やはり、本物が生き残るのだと思う
感謝