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(^^ゞ
今日の千葉は雨模様

さて
隠れ家にいる私とは
小さな時に何らかの事情、環境から自分を感じることができなかった『私』『あなた』です
でもある節目で何回も『私』という芽を出そうと、再生しようと働きかけてきます
思春期がわかりやすい良い例です
そのとき、自分以外の不必要なものを取っ払うため
その時期に起きる出来事などに耐えるため、命をすり減らさないようにするため、いろんなサインとともに
命がけで表現しています
タマネギの皮をはぐように、不必要なものがはがれおちてゆく過程は、一見激しく自分や周りを不安におとしいれるかのようです
次はなんにも掴めない混沌とした世界に、つき落とされたような孤独で不安な時期を迎え、また、何もわからないことにより苦しみます
それは、これまで親や世間などの他人の価値観というエネルギーの柵の中で、生きていたからです(時には守られてきたことでしょう)
やがて、その柵を蹴破り、出てみたところが、知らない世界に急に放り出されてしまったような無の世界か混沌とした世界が広がりゆきます
その広がった無が私だと知るまでどれくらい時間が必要なのかは誰にもわからない
そのとき、変わろうとする相手へ、再びいらぬ価値を吹き込むのは依存を産み、また互いにぬるま湯へもどるような、同じことの繰り返しになります
何もしないこと
あなたが本当にしたいこと、好きなことが知りたいなら
何もしないことなんじゃないでしょうか
あなたのこころが自由でなければ
カオスの中に埋もれた、本当の自分の姿を探せることは難しいと思います
探すというより新しくモデルチェンジして登場するのはどうでしょうか?
そして、気がつけばそんな自由になるまでの混乱のプロセスを経た後には
あなたのエネルギーに触れてきた周りのひとたちも、いつの間にか自由になって解き放たれてゆく
なんてこともあるものです
自由さって、別に得手勝手に振る舞うってことでなく、今の自分の中でくつろげる
スペースを発見してゆくことなんじゃないかと思います
自立した社会人として成立させるために、なんにもしないことを必要としてる時期もいるってことです
私たちは機械ではありません
パスワード入れたってダメなときはダメなんです
パソコンだって、アプリが多すぎたら強制終了しなきゃなりません
携帯なんて、ひどいときは電池まで一度取るんです
人間ならもっともっと色々あって当然とおもいます
でもそれは一過性のことなんじゃないでしょうか?
ずっと止まってるなんてない
やりたいことがあるから生まれてきてる
生まれたいからここにいる
いる価値が与えられてるから存在してる
それはただ、生の奇想天外を楽しむってことだけかもしれないけど
それは、ひとそれぞれ
それをみつけたら
誰が止めたって
きっと
あなたはワクワクして自分の宇宙の中に飛び出してゆくんでしょうね?
感謝
ヽ(^^)