直球で言うと
こどもだって
わずらわしいのです
鬱?
不器用?
逃避?
いや
そうか知らないケドさ

世間のイザコザや規則や煩わしさに関われないときがある
これが理解出来ないひとは現実やはりいますよ
昔はそれが理由で厳しい仏門にはいる人だっているんです
良いとか悪いとかでなく
バリバリとやって歯をくいしばってきて苦労したひとは特に
根性がないとかいろいろ諭して変えようとしたりするひともいます
頑張れ頑張れ
この繰り返しに
他人がすごく苦手になります
そしてこんな時に無理に外へ出ようとしたり、出されたりしていると
余計に長引きます
何もかもが疑問のかたまりになって、みんなが、世の中が大嫌いになってしまいます
心に鍵をかけて
入れるのは唯一犬のポチだけとか
または手の届かないひとに豹変しちゃうかもしれません
もしも、そのような時期が、あなたのこどもやあなた自身の人生に訪れてしまったら
あなたはどうしますか?
自由に体を休めながら、そんな自分と対話をする必要が、到来しているのになぜに
弱さや落ちこぼれとなってしまったりする世の中なのか
社会に出る前のこどもだからこそ、失敗したっていいじゃないかと思いませんか?
それは甘やかしですか?
もし、世間に対しての面目があるのも人としてわかりますしそれを意識することで向上し、良い場合もありますよね
ただ、なぜひとときの自由な選択が自分の人生に許されないことがあるのか、本当に落ちこぼれなのか、本当に相手から学ぶことがないのか、考えるギフトだともいえます
いろいろ不思議だと思ったことはありませんか?
感謝