振り返れば

私も話しがわからない人だったことがある

子どもに対してもしかり

反論してくる他人に対して


『この人苦手タイプ、嫌い!』


受付拒否プレート出して、小窓ピシャリ!カーテンも閉めて、相手を否定した


私だって

こころのない言葉に

『傷つけられてきた』

だけど


『私の見えない思いが空気カッターとなって他人を傷つけてきたかもしれない』

との思いが

今はこころをよぎる

同時に

『あぁ‥ダメダ‥コノヒトニモワカッテモラエナイ』

否定されたような気持ちになって孤独で悲しい思いをしてきた

でもこれは、問題を通して相手がくれた特別お歳暮ギフトではないかと思えてくる

しかも、誰彼構わずもらえるわけではないようだ


『私がどこかで誰かに味あわせた感情が、いつか自分が自分にした仕打ちが、ブーメランみたいにかえって来ているんだ』

こころはみんな繋がっている

この人は私にそれを教えてくれていた

『教師なんだ!』


そのとき

私の前のぬりかべは
ベルリンのカベのように
バラバラになり

相手は、ある意味私にとっての特別な方となりました

同時にこれは、深い自分自身に対して、否定を浴びせて責めてきたであろうことも映し出していると見ると


『これからはもっと、自分を大切にしたいなマジで』


って

私は自分の胸に

そっと手を当てた



おわり


ありがとうございました