こんにちは!みなさまどのような休日を送っていますか?
さてさて本題

親子のよくある会話に、社会でうまく生きてゆく為の、しつけの基本として、『挨拶しなさい!』『ありがとうって言いなさい!』『ごめんなさいは?!』等をよく使っています。確かに社会生活の円滑油と思います。かつての私だってそうでした。

挨拶は別としまして、
ありがとう~とかごめんなさい!大好き~!とかって、本来。
自分の中から湧いて来るものだと思うのです。その場を丸く納めるためとか、

親の偉大な存在感を知らしめる為でもなく、

小さな子が、自分では出来ないことを、親や周りの大人に頼む、そして出来る人が、快く代わってやってあげる、
わかりやすい子の例であれば、泣き叫んでいる子や、怒っている子の感情を認めてあげる事は、当たり前で大切な事なんだと思います。

ごめんなさいあせるって気持ちだって、その時はきっと謝らなければいけない方にだって、きっと何かしらの理由があるからです。

そして謝るとか、許すとかの気持ちは、時間がたって冷静になって自分が同じ立場に立たされた等で、後から湧いて来ることも多いはずです。
やってあげたんだから、ありがとうは?
『ありがと』
挨拶しなさい!
『こんにちはー
イタタタごめんなさいは?
『ごめんなさい』
私には、パブロフの犬(古いですがガーン)しか思い浮かびませんです

父や母が、子供さんに、~の事好き?とか誰々とお母さんどっちが好き~?とか試すような事を聞いて、好きと言えば、どれくらいかだの、あまり良い答えや結果が返らなかった場合、どれだけあなたの面倒見てるんだのと言って、純粋な子供さんを困らせます。

好きって気持ちだって、やはり湧いて来るもの。自分の子であっても、親から愛を奪われる筋合いなんてありません。

親なら子供に見返なく愛されるのが当たり前だと信じているなら、親も子供がどんな姿でいても、愛も、お金も、労力も、見返なく期待なく無償で、与えることが出来るのかなと思います。
小さな子供は、親の全部を受け止めようとします。

株みたいに、注ぎ込んで後から何か倍になって返るかも、もしくは、働いて身を犠牲にしてあなたの為に出してやったんだから、立派になるだろう。言うことを聞け等の、返せ的な無言の圧力オーラは子供にダイレクトに伝わりますし、人間として、大人同志だって嫌な気分になる事だと思います。
子供の情緒教育に、本物なのかな~と思います。


親も、自分自身の健康管理や、自分の可能性をヒビ追究して、出来る限り我が子には、精神的な負担与えないよう、本当の意味で自立をして、親子、安心して依頼と信頼の出来る、健全な関係を結んでゆけるように。

子供さんたちは、親や周りの大人たちの言葉でなく、行いを見ています。

子供に話を聞いてもらうには、資格がいるなと思うんです。

さらに敏感な子ですと、本質的な、エネルギーレベルまでをハートで感じてわかってしまっているのですね。
侮れない、鋭い存在だと思うのです。

読んでくださり
ありがとうございます