春ごろに母の病気、斎藤さんとの別れ、地方に住む子どもたちと会えないつらさ、色々なことが重なり、かなり精神的に不安定になりました。「このまま人知れず死んでしまうのではないか」とか「いつか素敵な人が現れてこの生活から救い出してくれるのではないか」とか、どうしようもないことを考えていました。

 

でもやっと誰とも会わずに一人で黙々とテレワークをし、黙々とご飯を食べ、そして眠る、生活にもだいぶ慣れてきました。

仕事が終わると、空を見上げ、今日も無事終わったことに感謝し、晴れた休日にはベランダに椅子を出してちびちびとレモンハイを飲みながら読書を楽しむという、安上がりな楽しみも覚えました。

 

最近「武蔵君」という人と付き合っています。婚活で知り合い特に気になるわけでもなかったのですが、私が今住んでいるあたりが彼の出身地であり、なつかしいから、ということで地元でランチや散歩をするようになりました。

とても優しい人です。ふさぎこんでいる私をあちこち(と言ってもこういうご時世ですので、ドライブで山とか海などに出かけることがほとんどです。)連れて行ってくれます。

彼は転職したばかりで(同年代で大きな会社に転職できるのですから優秀な人だと思います)、仕事上で悩みがあり、それを私が聞いたり、彼が帰宅途上に私の家があるので、時にはお茶を飲んだり、楽に過ごせる関係ではあります。

 

武蔵君は私のおかげで仕事も頑張れるし、毎日が楽しくて、「あなたは私の女神様だ」と言います。

客観的にみれば私にはもったいないくらいの話です。

 

でも、でも、私は武蔵君に対して「好き」という感情が今のところないのです。

武蔵君に悪いので私の気持ちをお話して「もう会うのをやめましょう」と提案してみたのですが、武蔵君のあまりの落ち込みように結局また会うようになってしまいました。

 

私は結局は「結婚」に向いてないのか、求めていないのか・・このままでは誰と付き合っても相手に迷惑をかけてしまうような気がして、出家でもしようかな(いえ、本当にするわけではなく、恋愛に対する「感情」を捨ててしまった方がいいのかということです。)とさえ考えてしまします。

 

50代も半ばをすぎて、何をやってるんでしょうね。

まだまだ煩悩ばかりの人生です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斎藤さんと別れて4か月以上経ちます。

 

去年こどもが家を出て私は一人暮らしになりましたが、「節度ある」お付き合いをしてきたつもりです。でも、その日は家でラグビー観戦をして、遅くなったので、泊めてあげることにしました。初めてのことです。ところが、真夜中、突然地方に住んでいる息子が旅行帰りに訪ねてきたのです。斎藤さんは別室で寝ていました。

 

息子と斎藤さんは仲良しですので、「あ、斎藤さん」と特段に気にする様子もなく、息子は寝てしまいました。

でも私は気になって、気になって、仕方がないのです。ずっと気をつけてきたのに、たった1回の「間違え」でふしだらと思われたんじゃないかと。

 

それから、「結婚」について具体的に話し合いました。斎藤さんは真剣に考えてくださったと思います。でも私にとってはのらり、くらり、の印象で、結局最後は電話で「結婚するんですか?しないんですか?」と問い詰めました。彼の答えは「とりあえず、しない。」

 

斎藤さんとはそれからも週に1回は必ず仕事で会います。距離感がわからず「とりあえず」の続きをずっと待っていました。先日痺れを切らして、「とりあえず」の続きは?と尋ねました。斎藤さんは「ずっと悩んでいる。どうしたらよいのか。」

 

斎藤さんも元気とは言ってももう高齢だし、私も初老です。「結婚」にこだわらなくてもいいことはよくわかっています。斎藤さんが離婚して、子どもたちが巣立って、なんの障害もないはずなのに、以前よりずっと苦しいのです。

 

この機に婚活を始めました。知らない人は怖くてまったく進展がなかったのですが、最近メッセージをしあう人が出てきました。遠方の人です。5年前に離婚して、仕事や子育てがやっと落ち着いたので、パートナーが欲しい、と。恋愛の前に結婚について語る、という不思議な感覚に戸惑いますが、この方がクリアでいいのかなとも思います。

 

この遠方の人と先に進む前に斎藤さんに報告した方がいいんでしょうかね。それも変ですね。斎藤さんとの距離感がまったくわからず、むしろもう会わない方が楽になるのではないかと思う今日この頃です。(気になっちゃうんだけど・・・)

 

 

 

 

 

 少し前にヤフーブログが廃止になるとのことでこちらにお引越しをしたのですが、今頃になって、過去記事として入ってきているのに気が付きました。10年も前の記事ですがテーマを「前夫」として残しておくことにしました。

 

 昨年父が亡くなり、色々整理する中で、父の会社の経理担当だった前夫がかなりのお金を持って行ったことがわかりました。お金がない、お金がない、と言い生活費もその後の養育費ももらってませんが、いったいそのお金はどこに消えてしまったのでしょう?息子は「株だろうな-、たぶんすごい額のお金が吹っ飛んでると思う。」と冷静に答えます。

 

 娘はずっとレタスが食べられなかったのですが、最近食べられるようになった、どころかむしろ好きで丸々1個ペロッと食べてしまうこともあります。娘になぜレタスが嫌いだったのか聞いたところ、レタスを食べなかったことでお父さんにぶたれた、ことがトラウマになってた、と。幼い子供はレタスなんて嫌いなのが普通ですよね。

 

 息子も幼いころに叩かれたり、無視されたり、「虐待」にあったことを最近ボソッと話すようになりました。「よくぐれなかったね」と言ったところ、「だから逃げたと」。彼は中3の夏からやりたいスポーツのために実家を離れました。

 

 このブログでは「恋愛」のことをメインに書いてきましたが、表(?)では、子育てに必死でした。息子は続けていたスポーツで国体まで行き、仕送りはせずに給付金、奨学金、バイトで大学を卒業し、この春に社会人になります。娘は音楽をやっていて、地方で寮に入っていますが、公立なので、寮費はうちで暮らすのと変わらないほどです。年に2~3回子どもたちが帰省すると3人で狭い部屋で川の字になって遅くまでペチャクチャしゃべる時間が大好きです。

 

 10年前の記事は 読み返すととてもきついものがありますが、まあそんな中で子どもたちはよく、まっすぐ育ってくれたなあ、と感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

 

 

すっかり忘れてしまっていたパスワードを掘り起こし、久々にここに辿りつきました。

 

斎藤さんの離婚からすでに2年余り。斎藤さんに対してはすでに家族のような感情で、元気と言っても衰えが目立ち始めた斎藤さんに寄り添って生きていくんだろうなと思っていました。覚悟もありました。

 

それでも、きちんとプロポーズするだとか、住むところをどうするかだとか、将来の展望だとか、人生の一大事である「結婚」に対して、彼の思いをはっきり示して欲しかった。

「ここに住めばいいじゃん」「籍も入れようよ。」なんて、その場で考えたような言葉は聞きたくなかった。

 

この2年ばかりは斎藤さんのお仕事メインで給料を頂いていたのですが、少しずつ減らして、他の仕事での自立の道を確立しているところです。

 

子どもたちもそれぞれ地方で暮していて、仕事が終わるとひとり暗い部屋に戻り、発泡酒がささやかな楽しみ。

 

楽しい、ひとりの老後にすべく、奮闘中です。

 

 

 

 

斎藤さんが離婚しました。

 

別居して10年。離婚の話し合いをして5年。話し合いもお金をめぐっての「戦い」がほとんどでした。

話し合えるうちはまだ離婚の必要はない、と私は思いますが、ついには弁護士さんとの戦いとなり、斎藤さんは戦いを選びませんでした。傍からみると斎藤さんが失ったものが多い選択です。

 

斎藤さんは離婚したことについては「すっきり」した、と言いますが帰るお家がなくなったのは寂しそうです。あの国で50年近くも頑張ってきてそのいわば象徴が「お家」だったのですから・・・。

 

斎藤さんは整理のためにあの国に向かいました。滞在はホテルです。50年で初めて「帰る」のではなく、「行く」旅です。

永住権も返納します。ひとつの時代が終わりました。

 

私はここ最近は娘が難しい年頃なこと、親の介護、仕事等の要因により、「結婚」が考えられなくなりました。斎藤さんご夫婦の関係の修復を望んでいました。とても残念な気持ちです。そして、夫婦がいくら破たんしていたとはいえ、離婚まで至ったのは私に責任の一端があるのでは、と申し訳ない気持ちです。

 

とはいえ、起こってしまった過去は変えられません。

これから先、どうしたいのか、しっかり考え自ら選択した人生を歩んで行きたいと思っています。