もう40余年も前の話だが、1年間アメリカのオークリッジ研究所に原子力の勉強に行かせて貰った。何しろ初めての海外生活で見るもの・聞くものが珍しかった。「とっておき」ならぬ「とって残し」の話をご披露したい。
-車売却の苦労-
その1 -床屋での話-
オークリッジ・ダウンタウンの床屋に行ったが、結構混んでいた。僕が入ると先客が並んでいるにも拘らず、どうぞお先にと譲ってくれる。さすが大らかな国、部屋の出入りの際どうぞお先にと言ってくれる、あの親切さだなと合点して遠慮無く先にやって貰うことにした。米国は、当時既に機械化による大量生産のシステムが進んでおり、車等の工業製品は日本に比べて安かった。しかし、手作業によるものは高く、床屋料などかなり割高だった。高い割に粗相で整髪だけで洗髪も髭反りもない。整髪後のきりくずは掃除器で吸い取るのだが、いいかげんにやられるのでのがっぽいのには難儀した。
1ケ月後に行ったら、またお先にどうぞとやられた。ありがたいなと思いつつ、遠慮なく指定された椅子に着いた。その椅子の床屋は前にかかった人だ。例によって、まるでかぼちゃを取り扱うような乱暴な手つきで整髪をやってくれるのだが、その間にふと気がついた。理髪をやる人は5人ほどいるのだが、待っている人は皆自分の好みの人が空くまで待っているのだ。と言うことは、僕がかかっている人は人気が無くいつも空いているので僕を招き、回りの人もどうぞお先にとすすめてくれる。
冗談じゃない。親切心からと思っていたが180度違っていた。1ケ月後に行ったらまた同じように、同じ人のところに勧められた。こちらも3ケ月たって心臓も大分強くなってきた。その人のところに行かず、良さそうな人のところで順番を待った。やはりこの人のほうが大分丁寧だし、上手だ。
5人の理髪やる人は稼ぎに比例した給料を手にしているに違いない。それにしても競争がこういうところにまで徹底して行われているアメリカ社会に驚いた。アメリカは個人主義の国、競争社会になれきっている。逆にそのほうがやり易いのだろうが、ぼくから見るとぎすぎすした感じで、とても受け入れられないと言う気がした。やはり競争は程ほどにし、お互い助け合うやり方がわが国には合っているとつくづく思った次第。
その2
1年間の滞在期間が切れるので車を売る必要があった。500㌦(当時Ⅰ㌦360円だったので、180,000円。なお僕の当時の月給は3万円程度。)で買ったのでせめて250㌦では売りたいと思い、オークリッジャ(オークリッジ町の地方紙)にその旨広告を出した。広告を出してもすぐには応答が無く、ひょっとしたら売手は見つからないかも知れないと言う不安感に襲われた。当時の日本は、まだ鉄は貴重でポンコツ車でも1万円程度では引き取って貰えた。しかしアメリカは事情が違う。今の日本のようにボンコツ車は、金を払わないと処分してくれない。まだ使えるにしても、足元を見られてポンコツ車としてしか処分出来ないかも知れない。最悪それもやむを得まいと覚悟していた矢先、買手から電話があった。幾らで売るかと言うから200㌦に下げると言ったら、それでは買えないと言って電話を切られた。次の日にまた打診があった。声からすると昨日の人のようだ。売れなくて段々値が下がってくるのを待っている様子だった。幾らで売ると言うから、150㌦と言ったらもっと下げろと言う。相手は、僕の英語の下手な発音から判断して外国人、それもオークリッジに勉強に来ている人で、帰国の為に車を売らざるを得ないことを見透かしているに違いない。仕方がないので100㌦と、半ばなげやりな気分で答えた。今から行くと言うので待っていたら、45才位の紳士が現れた。
一通り車を見て50㌦だと言う。見に来るくらいだから買いたいに違いないとみて僕も頑張った。100㌦でしか売らないと宣言した。そしたら先方が折れて中をとって75㌦でどうだという。それで良かろうとなった。しかし、先方は紳士に似合わず、車の欠点を微に入り細に入り並べ始めた。僕は、そのような欠点があるので75ドルという破格の値段にしたと云って一歩も譲らなかった。先方もやっとあきらめて商談が成立した。僕は、売れてとにかく助かったと言うホッとした気持ちと、先方の1㌦でも有利にという「自己本位のけち」なやり方にいささか腹がたちすっきりしない気持ちが混在し、複雑な気分だった。驚いたことに、紳士は商談が成立するや否やガラリと態度が変った。急に親しげなり、おいしい紅茶とケーキを振る舞うから家に来いと言う。なんなんだこれは? 紅茶とケーキとその他で15㌦程度かかっている。さっき1㌦を惜しんで粘っていたのになぜ15㌦も振る舞う?
思うに、彼らは小さい内から自己主張が身に付いている。彼らからすれば自分の有利なことを主張するのはごく自然で、主張しないほうが異常である。これは国レベルでも云えることで,近年貿易不均衡に端を発して、アメリカは内政干渉と言われようとなんと言われようとお構い無く、わが国に要求や、指摘をしてくる。これは彼らの国民性から来るもので、いちいちめくじらを立てたり深刻になったりする必要はないとつくづく思う。