阪神淡路大震災から
28年が経ちました。
当時、まだ学生だった私は
何やら珍しく早く目が覚めた
…その瞬間、ズンッとした
下から突き上げられるような振動に
何事?とびっくりし
そのまま揺れている間
必死で掛け布団を握りしめていました。
揺れがおさまり
凄い地震だったな…としばし放心していると
母親が部屋に入ってきて
「大丈夫??
すぐに飛び出せるように
何でもいいから服に着替えなさい!」と
逼迫した声で支持されました。
その時、既に我が家は停電。
父親が、水は出てるか??
お風呂、やかん、鍋
とにかく水が出ている間
あらゆる物に水貯めろ!!!と叫び
普通の地震じゃないんだ…と
子ども心に恐怖を感じ始める。
とりあえず適当に服を着ようとしたら
姉から
「どうせ、学校行かなきゃなんだから
制服きておけば?
後で着替えるの楽だよ」と
姉妹で制服に着替える
母から
「何であんた達、制服なの??」と
びっくりされた。
幸いなことに
揺れた方向のおかげか
我が家の食器類は、少し移動しただけで
一つも割れることなく無事でした。
そこからは家族で同じ場所にいて
父がラジオをつけて情報収集。
今と違って、スマホなんてないもんね。
日が登ってきて
ようやく停電が解消され
テレビをつけれたけど
電話は不通
余震は続いているけど
少し落ち着いてきたかな?
さて、そろそろ登校時間だ。
駅にテクテク向かうと
電車が止まってる…遅刻じゃん!!
駅の改札にゾロゾロ揃う学生達。
しばし待っていると
車で学校まで連れて行って貰った子が
今日、臨時休校だって!!と
教えてくれました。
家に帰り、私服に着替え
ひたすらテレビを見る。
明るくなるにつれて
報道ヘリが被害のひどい所を写す
倒壊した家が燃えてる…
街中のあちこちで燃えてる
とにかく怖い。
そんな時
父親が、仕事現場に行く事に。
建築関係なので
現場の被害状況を確認しなきゃいけないらしく
車で向かう事に見送る母も
私達姉妹もとにかく心配と
不安が隠せない。
何もこんな時に仕事行かなくたって…
父からは、
今日だけは3人で一緒にいるように!と言い
車で出掛けて行きました。
夜遅くに父が帰ってきた時は
安堵からか
少し泣きそうになったよ…
これが、28年前
私が経験した、阪神淡路大震災でした。
その後…
小学校1〜2年生の時のクラスメイト
確か名前は、れなちゃん。
彼女が震災で亡くなったと、
当時の担任の先生から教えて貰いました。
電気、水道は震災当日から使えたけど
ガスだけが1〜2週間止まり
お風呂が使えない状態に。
カセットコンロでお湯を沸かしては
お風呂に入れを繰り返し
脱衣所とお風呂場を
灯油ストーブで温めながら
お湯が冷めないうちに
急いで入るという荒技。
それも毎日は出来ないので
2〜3日に一回の入浴。
食事はコンロで作れるけど
洗い物は冷たい水で…
学校も、あちこち震災の爪痕が。
あれから28年経って
震災を経験していない世代が増えてきた。
けれど、その後の東日本大震災など
日本はいつまた大きな地震がくるかわからない
南海地震も、そのうち
やってくるのかな…
震災の記憶をなくす事なく
経験を生かして
万が一、億が一…
起きるその時に備えれたらと思う