【進撃の連合艦隊】昭和6年 丸1計画 | まもちゃんのブログ

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2020年中国と開戦した日本は中国軍航空母艦による首都東京空襲により壊滅する。核兵器が使用され、東京は廃墟と化した。この戦いで、同盟国アメリカは参戦しなかった。日本は見捨てられたのだ。遥達防衛省技術開発本部の面々は核爆弾の直撃時に昭和元年にタイムスリップした。皆、中国、アメリカへの復讐に燃えていた。皆、家族を東京空襲で亡くしたのだ無理も無い話だった。

防衛省技術開発本部がタイムスリップしたのは帝国海軍海軍施設内だった。遥達と帝国海軍軍人が接触すると、たちまち海軍上層部は大騒ぎになった。開発本部長「鳴海 晃」と海軍の連合艦隊司令長官「加藤 寛治」、軍令部長「鈴木 貫太郎」とが会談を持ち、技術開発本部と海軍が協力する事となった。

技術開発本部は海軍内でJSDFと呼ばれる事となった。又、遥と隼人は帝国海軍に配属される事になった。

タイムスリップから5年、日本には段々変化が出始めていた。大規模な景気刺激策により好景気に湧いた。旧史の製糸業に加えて化学繊維業界が業績を延ばしている。日本のGDPは年10%位の成長ぶりだった。

そんな中、次の開発本部のプロジェクトは丸1計画だ。

昭和六年度より同十一年度までの六ヵ年計画(航空隊整備計画は同十三年度まで)。
計画概要
艦艇39隻建造、航空隊14隊整備である。

この中の目玉は最上級軽巡洋艦4隻だ。

最上型は軽巡洋艦だが、排水量から言えばほとんど重巡洋艦だ。実祭旧史では条約から脱退すると主砲は15.5cm3連装砲5基から20cm連装砲5基へと改装される。しかし、JSDFでは最上級を軽空母として後日改装するつもりだった。

その為、最上級に提案したJSDFのF4号案は革新的なものだったが、廃案となった。革新的すぎたのだ。JSDFの案では最上級の速度は30ノットとした。これは軽空母での運用を考えた時、カタパルトさえ装備しているのであれば、飛行甲板の幅があった方が運用は容易であると考えたのだ。

カタパルトは現在蒸気カタパルト、油圧式カタパルトの2案が開発中だった。先に完成するのは油圧式と見られた。蒸気カタパルトは高圧、高温に耐えるパッキンの開発等難問が多く、開発は遅々としている。しかし、油圧にはJSDFにも資料がたくさんあり、ドイツから油圧の機器、技術を続々導入している。油圧の技術向上は凄まじく、現在、既にブルドーザー等が完成している。旧史では大戦中にブルドーザー等なかったのだから、格段の違いだ。

又、未だ大艦巨砲派も多く、最上級を30ノットにする等、言語道断だった。

ちなみに大戦中の空母が35ノット近い高速なのは、主力の戦艦部隊を斬激する重巡洋艦等による初期戦闘に参加する事が考えられ、空母は航空機による攻撃だけでなく、砲雷撃戦にも使用される予定であった為であった。そのため、赤城には未だに20cm砲が装備され、後日計画される蒼龍級空母のG18号案でも当初20cm砲の搭載が考えられた。

もちろん、旧史を知る海軍上層部は迫る大戦に航空機を主力兵装と考え、航空機の技術開発、航空母艦の増強に注視していた。

結局JSDFも今の段階で日本の空母増強を悟られるのを予期し、廃案に強い抵抗を示さなかった。

その一方、力を入れたのは新型駆逐艦、初春型12隻だった。ロンドン軍縮条約により、補助艦艇の駆逐艦迄制限範囲となった。その為、海軍は前級吹雪級の排水量1600tから1400tに減じ、かつ、武装は強力にするというものだった。

旧史では新型12.7cm砲5門、魚雷3連装x3基、次弾装填式魚雷は18本装備の重武装だった。しかし、その後の友鶴事件により、この重武装、軽排水量の艦がトップヘビーで、戦わずして、荒天時に転覆しかねない事が発覚、日本軍は多くの艦艇の見直しを迫られてしまった。

この事実をふまえ、JSDFは武装の見直しを行い、安全な艦を目指した。

結果、F5号案が提案された。

F5号案初春型

排水量1400t
全長109.5m
全幅10m
機関艦本式タービン2基2軸42000馬力
速力36.5ノット
89式45口径12.6cm連装高角砲x3基、魚雷61cm3連装x3基9本、12.7mm連装機銃2基という控えめな武装とされた。
主砲が3年式12.7cm砲から89年式高角砲となった事は大きな重量軽減になった。旧史では新型砲を採用した為、吹雪級より重い砲をより軽い艦に押し込めた為、無理が生じた。もちろん、6門から5門へ主砲を減じる手法が取られたが、焼け石に水だった。
魚雷については吹雪級と同じとした。

だが、JSDFは欲張った。初春級にソナーを装備した。ソナーは機密事項だった。この時代ではソナーの存在は未だ知られたくなかった。ソナーは水線下にあるので、存在を知られる恐れは少ない。一方、既にヘッジホッグ(広範囲面制圧型爆雷)の開発に成功していたが、未だ知られたく無かったため、採用が見送られた。ただし、爆雷の搭載スペースが無く、中途半端感は否めない。

初春型はその他、ブロック工法や溶接工法、軽量な機関等を採用し重量軽減に勤めたが、やはり、ややトップヘビーとなった。要求が欲張りすぎだったのだ。

初春の公試時、傾斜が強く、大きな問題となった。

結果、旧史と同様初春型は6隻で建造を見送られ、白露型の建造となった。

F5号改案白露型
排水量1500t
全長111m
全幅10m
機関艦本式タービン2基2軸42000馬力
速力35ノット
89式45口径12.6cm連装高角砲x3基、魚雷61cm4連装x2基8本、12.7mm連装機銃2基、爆雷16個という更に控えめな武装とされた。

だが、JSDFはそれでも欲張った。白露級に爆雷も装備した上、爆雷は近接信管付きだ。
魚雷が4連装x2基となり、艦尾が延長された為、爆雷の搭載スペースが生まれた。結果的にバランスの良い艦が完成した。

初春型はその後改装され、排水量は1500t、速力は34ノット迄低下した。

JSDF最初の失敗といえるこの事態は以後十分に反省された。

遥と隼人は空母赤城に配属されていた。遥と隼人は少尉の階級を拝命し、遥は航空参謀、隼人は戦術参謀として赤城に配属された。

赤城には若干の改装が行われた。それは女性士官用の設備だった。それは言わば遥の為の改装だった。当然だが女性用トイレ、シャワー室、着替え室が必要だった。

連合艦隊の艦艇に女性が乗り込んだのは遥が始めてだった。赤城はその後の大改装でも女性用設備を充実させた。赤城は女性士官及び航空機搭乗員の育成用の艦となった。

海軍は女性士官、女性航空機搭乗員の採用を決めた。これは来る大戦に備えて、士官、航空機搭乗員を確保する為の措置だった。

遥は言わば後の女性軍人の先駆けだった。遥が最初の女性士官として選ばれたのは、その美貌がパリコレで有名になり、国内外から絶大な人気を誇っていたためだった。

普通なら女性士官が男の世界である軍艦に乗り込めば、かなりの抵抗がある事が予想されたが、遥は人気者だったので、もしろ大歓迎された。

「遥も随分人気者になったね。随分遠くの人なってしまった様な気がするよ。」

「何言っているの、同じJSDFの仲間じゃ無いの。水臭い事言わないでよ。」

遥は本当はそんな事より、隼人が自分の特別な人である事に変わりが無い事を言いたかった。しかし、女性からそんな事が言える筈が無かった。

遥はどこか悲しい気持ちになった。

何時になったら、この朴念仁は私の気持ちに気付いてくれるのだろう。

「はぁ。」

「どうしたんだい?」

隼人が遥を心配する。

原因はあなたよ。といいたい処だが、それは胸に秘め、愛想を振りまく。

「いや、何でも無いのよ。本当。。。」

本当、私も気が長いなぁ。遥も本当に一途な女性だった。

だが、赤城の生活で進歩がある事に期待していた。