誤解というのは何事においてもあり、

 

それがもとでトラブルになることも多いでしょう。

 

何度も繰り返し書くように、

 

すべてはシステムの中にあり、

 

関係というものを切り離して考えることはできないのです。

 

 

 

水の文化史 (中公文庫)
水の文化史 (中公文庫)
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富山 和子
中央公論新社 (2013-08-23)
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先日来、富山和子さんの著した

 

水や土にまつわる書籍を読んで考えさせられております。

 

これらがすでに半世紀近く前から論じられており、

 

まさに今年の冷夏、昨今の異常気象を予言するかのようで驚きを隠せません。

 

 


けれども外国の恐ろしい出来事は、決して対岸の火事ではない。雨量に恵まれているとはいえ日本の場合には、雨は凶器にもなる両刃の剣である。しかも農地の土壌についても私の友人の専門家たちは、口をそろえて次のようにいう。「来るときには徐々にではなく、きっと一度にやってくる。そう、人や馬が疲労困憊の末に、倒れるときにはばたりと大地に倒れるように」と。
土を酷使しているからである。「それが今年来るか、来年来るかと、毎年薄氷をふむ思いだ」ともつけ加える。引き金は、やはり異常気象にちがいない。

富山和子「水の文化史」(中央公論新社)P196

 

 


水と土と森林。そして、人間と。

 

現代人は物事を何でも切り離して個別に考えがちなんですよね。

 

 


自然を守るとは、ただ単に国が土地を買いあげたり、規制の網をめぐらして、ここだけはべつものですよと線引きをすることではない。そこに人が住み、山での生産活動を通しての共同体が維持されてこそ可能である。

自然とは人為を加えぬものにこそ価値ありとする思想、珍しい動植物の保護を至上とする価値観で自然が語られるとき、自然と人間とは切り離され、それを語る自分も、自己の存在を保証する文明も、ともに土壌とその土壌を養ってきた人間の労働の結果であることが忘れられた。自然とは床の間に飾っておけばよいものに変わりはてたのである。

~同上書P213

 

 


私たちは生産と消費とを、利用と食いつぶしとを、区別しなければならないであろう。自然を守るとは自然を利用しないことではなく、その逆である。現代社会は自然を利用しない社会であり、なればこそ自然は食いつぶされる。私たちが手をつけない自然を広くとればそれだけ、自然は二重に食いつぶされる。放置することでその自然の表土を失わせ、他方で私たち自身を養うためにべつの土地を食いつぶすことになる。
~同上書P221



対人も対自然も同じ。

 

問題解決の術は関係を変えていくことであり、つながることなのです。
 

 

 


世の中には、まだまだ知らないことはたくさんあります。

 

胡坐をかかず勉強し続けようと思います。

 

それにしても雨が降りそうで降らない、はっきりしない天気。

 

こういう曖昧さもまた自然の理なのかもしれません。

 

ありがとうございます。
 

 

 

 

 

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