すべては関係で成り立っています。

 

すべての問題は関係の中で起こり、

 

ならばその解決策も、単独に対してでは対症療法に過ぎず、

 

関係の質をいかに改善するかにあるのでしょう。
 

 

 


僕がまだ子どもの頃、

 

有吉佐和子さんの「複合汚染」や「恍惚の人」という

 

社会派小説というか、ノンフィクションというか

 

そんな書籍がベストセラーになっていました。

久しぶりに読み返してみて思うのは、

 

科学万能の時代に、つい人は「関係」という状態を

 

忘れがちになるということ。

 

「複合汚染」には次のような言及があります。
 

 


いったい誰が、こんなもの(=化学肥料)を発明したのだろう。
十九世紀の始めに、ソシュールという化学者が、植物を焼いて、その灰を分析した結果、リンとカリウムと窒素が多量に含まれていることを知った。これらは元素であるから、他のものから変化するはずがない。そこで彼は植物がそれを土壌から得ていると結論した。
私はここに、化学と生物学の根本的な相違点を見出すことができる。つまり化学では人智でもって分った部分だけを追求するのだが、生物学は未知なる部分を抱きかかえて懊悩するのである。化学者は分析したデータを積み重ねて時代の先端を突っ走ることができるが、生物学者ならばリンとカリウムと窒素という三つの元素を同じように組みあわせても決して元の植物には戻らない理由について考えこむのである。
生物学者は、人間について、生物について、「この未知なるもの」という懼れを常に持っているが、化学者は人間の理解した範囲の中でその知識を複雑化することばかりに血道をあげてきた。
化学肥料を開発した化学者たちは、いつの頃からか、それが土に施されるものだという大切なことを忘れてしまっていたのだ、きっと。どうして彼らは一グラムの土の中に数千万から数億のバクテリアやカビが棲息していて、農作物を成長させるための重大な働きをしていることに気がつかなかったのだろう。

有吉佐和子著「複合汚染」(新潮文庫)P196-197
 

 


今となっては、誤認事項もあり、追究の甘い論点もありますが、

 

それにしても40余年前には衝撃的な内容だっただろうと

 

想像します。

確かに「関係」というものは目に見えないもので、

 

また、そこには目に見えないものの影響も当然あり、

 

ならば、どうやって目に見えないものを

 

できるだけ見える化して、鳥瞰できるかなのでしょうね。

 

 

 


例えば、組織の問題は複合的なものです。

 

特に、価値観の異なる人間が集まって機能させるわけですから、

 

まずは一人一人が、自分を知り、認め、正直に見せること。

 

そして、互いに伝えることと聴くことでしょう。

 

月並みな言葉になりますが、トップを含め、

 

素直に赤裸々に本音で語れるかどうかがやっぱり重要なのだと

 

あらためて思ったのです。すべては「複合○○」。

ところで、有吉さんといえば、

 

その昔、亡くなる直前に「笑っていいとも!」の

 

テレフォン・ショッキングに出演されたとき、

 

番組ジャックをされたことを思い出しました。

 

偶々あの日はオンタイムで視ておりましたが、あれはすごかった・・・。(笑)
 

 

 

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ありがとうございます。
 

 

 

 

 

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